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能力も大したことないが、それ以上に適正がひどすぎる。 凡将でも適正Aが1つくらいはあるものだというのに・・・ やっぱり顔グラと全然釣り合ってない武将としか言いようがないw 運搬でもつけとくしかないだろう -- (名無しさん) 2011-01-25 16 38 46 献帝を"運搬"したわけだからねw 護衛でも良いかも知れんが… -- (名無しさん) 2011-01-25 16 55 17 ↑×2こいつは義理最低だから長距離輸送は無理 -- (名無しさん) 2011-04-22 10 52 19 義理最低、野望高め、適正Aなしの本気でいらない人。 運搬もできないので、後方都市の武将その2かその3がベスト。 -- (名無しさん) 2011-04-22 18 29 25 後方都市の武将その2かその3が しかし中途半端に統率が高いのがねえ -- (名無しさん) 2011-05-11 16 00 57 性格は勇猛だが思慮は浅く、曹操が彼の軍は精強だった。と言う割に酷い設定だなコリャ。配下に徐晃が居た時期もあった。 と言う事で能力や適性を弄っても違和感無い人物。と言うか弄らないと使う気が起きん。 -- (名無しさん) 2011-07-27 02 22 16 白波の頭領 正史ではそれなりに出番があるが能力は二流 個人的には、徐晃や韓セン、李楽あたりを引き連れた、彼が君主のシナリオをやってみたい。 ついでに言うと、河東に一都市あってもいいかなと思う。 -- (名無しさん) 2013-07-02 12 29 01 ↑激しく同意 かつては彼が君主のシリーズもあった。 曹操軍では良将の一人にしか過ぎない徐晃が、絶対的なエースとして活躍する楊奉軍でプレイしてみたかった。 -- (名無しさん) 2017-05-06 11 33 47 こいつの顔グラ、もとは趙雲だったと思うんだがどうだろう -- (名無しさん) 2017-06-10 00 36 51 ↑おそらく違うでしょう -- (名無しさん) 2017-11-17 19 16 06
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ソンチン 列伝 孫静の曾孫。孫綽(そんしゃく)の子。丞相・孫峻の従弟。 【演義】 孫峻の死後、後を継いで政権を欲しいままにし、滕胤、呂拠、王惇らを殺して暴政を敷いた。魏の諸葛誕が反乱を起こすと、朱異、全端、唐咨らを援軍に出すが成果なく、朱異を処刑し、降伏した全端、唐咨らの家族も皆殺しにした。その暴虐を恐れた第2代皇帝・孫亮に誅殺されそうになるが、未然に防いで逆に孫亮を廃立。孫休を新帝に迎え、丞相、荊州牧となる。しかし、孫休の命を受けた丁奉、張布らに捕らえられ、処刑された。 【正史】 孫亮を廃した際、共謀者の全公主も流刑に処した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 25 39 65 17 7 153 64 129 順位 581 476 330 635 664 655 543 547 偏差値 35.4 43.5 53.0 32.1 22.4 29.7 39.1 41.0 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B C C C C B 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 33 21 27 20 26 18 31 18 27 15 31 19 順位 459 567 487 581 496 579 480 577 496 581 466 571 偏差値 44.4 37.6 42.4 36.2 42.2 36.2 42.5 36.5 42.2 36.1 44.7 37.4 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 115 揚州 名声 中華統一 臨機応変 1/5 5/5 2/3 231 250 258(28歳) 不自然死 小心 小心 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫綝 親愛 なし なし 嫌悪 王惇、朱異、滕胤、呂拠 王惇、孫休、滕胤、呂拠 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 呉 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 未登場 呉 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 未登場 呉 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 未登場 呉 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 未登場 建業 - - - 0 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 未登場 建業 - - - 0 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 100 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 未登場 呉 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 未登場 呉 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 未登場 建業 - - - 0 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 呉 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 建業 - - - 0 - - 固有台詞 処断時「ま、待て、頼む! もう二度と逆らわん、約束する ま、待って……ぎゃっ!」 三国末期を代表する武将。 従兄弟である孫峻ともども気に入らない同僚を次々殺した。 もっとも能力的には見るべきトコはほとんどない。 -- (名無しさん) 2010-08-01 17 30 58 こんな奴を使う必要もないと思うが、 使うとしたらやや高めの知力を生かして発明をつけてやったりするといいだろう。 人間関係は破綻しまくりであるが、 そもそも出陣することはないだろう。 -- (名無しさん) 2011-02-08 07 20 48 いくらなんでも嫌悪されすぎw 曾祖父が人格者だったとは思えん屑だから当然か。 こいつを捕らえたら処断してる人って多いのかな? -- (名無しさん) 2011-05-28 21 08 59 ↑ かなり多いと思う。 能力もあれだし、よほど人材面で困っていない限り、捕虜にするよりは処断、 登用して、下手に人件費を払うよりは追放・処断と、存在を抹殺することをオススメする。 役に立つとしたら、敵勢力においての穀潰しぐらいだろう。 -- (名無しさん) 2013-02-07 13 21 20 同じクズでも孫峻より何もかも劣っていてどうしようもない。おまけに孫峻と違って誰からも親愛なし嫌悪多すぎと本当にひどい。というか皇族とはいえ20代半ばぐらいの人間が政権とっているって本当に末期の呉は終わってる -- (名無し) 2013-03-03 00 08 09 なんで処分することがオススメになっているんだw揚松みたいに気分的な意味で?そこまで殺意をそそるような顔グラはしてないと思うが・・・ 基本的に11では敵のカス武将を殺すことにメリットは皆無なので、攻略的な観点からはキャッチアンドリリースが基本。ただし孫綝は知力は65あるのでそこまでカスというわけではなく、敵の副将についてたりすると結構嫌な相手ではある。 まあ殺すほどの強敵でもないのは間違いないが。 -- (名無しさん) 2015-02-23 02 33 07 義理も能力も低すぎて使えない。穀潰しとして敵に与えるべき。 -- (名無しさん) 2016-03-28 01 48 04 孫峻よりひどい孫呉の屑。当時の人間関係もひどすぎて使えない。こいついらない。 -- (名無しさん) 2016-09-10 12 06 45 むしろこいつの前では孫峻すらいい人に入る部類 個人的にはなぜこいつに明鏡がないのか謎 謀略自体はさほどうまくないし、逆に謀略かけられそうな時に必ず見破るといううってつけの人生なのに -- (名無しさん) 2016-10-01 23 16 39 明鏡はさすがに無理でしょう。孫休の謀略を見抜けず殺されたんだし。 -- (名無しさん) 2016-10-02 15 12 25 こいつが使い所があるのは英雄集結と英雄乱舞だけど、留守番としてすら使えない。 -- (名無しさん) 2016-11-06 16 50 44 呉を代表するゴミ。ゲームも酷すぎの一言につきる。でもこんなカスでもCPUは引き抜く。使用方法はやはり自爆しかない。 -- (名無しさん) 2017-02-01 22 20 15 ↑7 呉版徳王と言っていいぐらい悪評しか出てこないからでしょう(まあそれをしてまさに「気分的な理由」なわけだが…)。 徐光(捜神記)の逸話からしても、民衆にさえ嫌われていたのは疑いない。能力に見るべきものがない以上、捕らえたらそれこそ「気分的な理由」で処分が決まるのはまあしょうがない。 …孫チンもそれを気分的にやったからこそ、孫休に「なぜ滕胤と呂拠を配流にせず奴隷にせず殺したか」となじられた轍を踏むわけだが。 -- (名無しさん) 2018-04-25 18 09 25 いや攻略wikiのコメントで「気分が悪いから殺そう」ってオススメするのはそりゃ違うでしょ。 あくまで攻略に関する補助情報を書くところなんだからさ。 このゲームでは敵の低能力武将を処断することに攻略的な意義は全くなく、マイナスでしかない。 敵勢力に所属する義理の低い雑魚武将は ・勢力に所属している場合、主将として弱部隊で出動することで兵器・兵士・物資を浪費してくれる ・味方部隊の脅威にならないが、倒した際の経験値や功績値はしっかりもらえる ・義理の低さを活かして寝返りを狙えば物資・兵士・上手くやれば都市や関・港すら頂ける ・地元執着でなければ、勢力壊滅後にはよその勢力に流れて同じように働いてくれる などとメリットだらけなので、なるべくなら統一の直前まで解放し続けたい。 そしてそれ以前に知力65は生産要員として使えなくもないラインなので、こいつ自身そこまで捨てたもんではない。政治と知力が逆であってくれればなお・・・というかずっとよかったのだが。 -- (名無しさん) 2019-05-28 00 17 23 こいつ殺してもそこまで困らないし -- (名無しさん) 2021-02-06 09 31 46 雑魚 -- (名無しさん) 2021-09-25 19 38 24 名前 コメント すべてのコメントを見る
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手強そうな君主が多いですが、呂布や張宝などロクに特技を覚えていない敵武将が多いので思ったほど難しくないです。 1ヶ月目はまず将軍の任命をし、許昌で募兵を行い曹操、夏侯惇、許褚に兵1万ほどを割いて大将扱いにします。 勇名1500の武将は兵3000から5000ほど与えて副将扱いに 雁行と方円や激励役に兵1を持たせます。 除州に曹操、副将1人、陳留・濮陽から3人ほどと兵1の雁行・方円部隊を5人用意して出撃。 呂布以外を捕らえたら曹操と雁行・方円部隊で呂布を一方的に撃ちまくると被害が最小限に押さえられるでしょう。 全員捕らえて金と米を奪い、譙に逃げてくれたらそのままもう一度戦争を吹っかけます。 敵は米がないので陳留や濮陽の適当な武将で十分勝てるはず。 2ヶ月目は分断された張角の手下に大将を1人ずつ分けて3回戦争を挑んで倒せば倒せるでしょう。 3ヶ月目に鄴を塞いで張角を滅ぼし(アイテムで妖術を使ってくるので注意)あとは力押しなり兵糧攻めなりで 5~6ヶ月目には袁紹を倒せるはずです。 最高記録は4ヶ月で名声750を超えるそうですが…1ヶ月目に袁術を倒して玉璽を入手、2ヶ月目から4回行動にして手数勝負でしょうか。
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第5話『誕生!覇王魏延文長!』 魏延「よもや貴様が、こんなにも早く敗れるとはな……しかし、この俺の下に真っ先に来た事だけは褒めてやる。さすが司馬仲達、機を見るに敏よ」 司馬懿「……恐れ入ります」 曹操軍を撃退して成都帰還した俺は、恭しく頭を下げる司馬懿と対面していた。 亡ぼされた司馬懿軍から漢中に流れてきた二人とは、なんと司馬懿と司馬昭の父子だったのだ。 欲を言えばもっと沢山流れてきたほしかったが、曹操との決戦を控えたこの時期に優秀な軍師を得られた事は大きい。 もちろん、三国一抜け目無いこの男の事、そこまで見越して俺のもとに来たのだろうが。 司馬懿を軍師に任命すると、早速一働きしてもらう事にした。 天水で孫策に登用されていた張郃を、親愛関係にある司馬懿で引き抜かせたのだ。 司馬懿「張郃殿をお連れしました」 張郃(無双)「魏延様の漢中や成都での見事な戦ぶりには、かねがね感服しておりました」 魏延(なら、最初から流れて来いよ) 張郃「この張儁乂、これからは魏延様の為に舞いましょう!」 更に255年1月。司馬昭を慕ってか長安に居た賈充が漢中に流れてくる。 司馬昭「こちらが賈充に御座います」 賈充「司馬昭様の勧めで参りました」 魏延「うむ。よく来てくれた。やはり親愛関係にあると登用が楽でいい。そう言えば司馬昭、お前の仲の良い兄、司馬師はどうした?」 司馬昭「あ、兄上は……兄上は孫策との戦いで火計に遭い焼死なされました……!!」 魏延「そうか……惜しい人材を失くしたな」 賈充「おいたわしや司馬昭様。司馬師様だけでなく、ご子息の司馬攸様までもが孫策軍との戦いで犠牲に……」 魏延「何、司馬攸もだと!?おのれあのリア充共めえ!!貴重な人材を!!」 司馬昭「兄上<司馬攸ですか……」 魏延「いや、規律<仁政だ」 優秀な人材が揃ってきた物の、その大半が曹魏系の我が軍は、依然として忠誠の低下に悩ませられ続けている。 特に、今後遅かれ早かれ南征をする必要があるが、この問題をクリアーせねば長期出兵は厳しい。 厳しいのだが……1月下旬、曹操軍を撃破したついでに成都周辺を捜索させていた龐徳から、廟を発見したとの報告が入り、俺の前に南斗が現れる。 魏延「ふむ、とりあえず俺に覇王で」 陳寿「……話の流れ的に仁政では?」 魏延「流石に廟を無駄にしてまで欲しい物では無い。それに仁政持ちは曹操の息子にも居るしな」 陳寿「なるほど。覇王を得て曹操を打倒すれば、仁政も手に入ると言う訳ですな」 陳式「でも、折角の連戦潰すのは勿体無くね?それなら、例えば踏破が用済みになった俺とかにつける方が有意義じゃないか?」 魏延「ふむ、一理あるな」 陳式「だろ?」 魏延「では南斗よ、俺に覇王で!!」 陳式「え~」 こうして俺は早々と覇王になる事にした。 まあ、陳式が言う様に連戦が勿体無くはあったが、戦闘のみならず、育成面を考慮しての選択である。 そう、戦法クリティカルで適性経験値二倍である。 全適性Sを目標にしているだけに、これは馬鹿に出来ない。 魏延「それにしても、リロード禁止だと廟探索も面倒で堪らんな」 陳寿「発見出来ないと無駄足ですからな」 魏延「それだけでなく、遺跡を発見した時の事も考慮すると、決まった月にしか探索出来んのが辛い。今回は龐徳が一発で発見してくれたが、不発だったら6月まで待って再調査する所であった」 陳式「統率や武力よか魅力の方がいいのか?」 魏延「統率と武力は、その気になれば直ぐ100になるだろ。それこそ遺跡で上げるのは無駄だ」 陳式「そ、そうなのか!?俺でも?」 魏延「まあ、暇なら」 陳式「暇ならって!?」 魏延「今回は能力値もクリア条件だからな。如何に効率よく能力を上げていくかも課題になる。それからすると、遺跡の効果も無駄には出来ん」 更に育成の効率を求めるなら、欲しいのは指導持ちだろう。 曹操軍にはその指導持ちの董允も居る。 つまり曹操を打倒すれば、益州の覇権のみならず、天下統一に必要な物が全て手に入ると言っていい。 魏延「フッ、曹操よ。首を洗ってまっていろ……!!」 ……と思っていた矢先の4月、永安から曹操自らが馬忠を伴い手薄な梓潼を狙って出撃したとの報が。 江州に対しては成都防衛時に後続を断つべく北から囮で牽制していたのだが、永安は江陵に向かってくれる事を期待して放置していたのだ。 それが、わざわざ長躯してこちらに向かって来るとは……。 まあ、想定内の事だが。 曹操は難所行軍を持っているとは言え、槍兵という事もあり到着までに数ヶ月はかかる。 それに対し、木牛を開発済みの我が輸送隊は一月足らずで成都から物資を届けられるのだ。 魏延「エースよ。じきに出番が来るから用意しておけ」 陳式「……また輸送ってオチか?」 魏延「いや、曹操を火矢で存分に焼いてやれ!」 陳式「おうよ!!」 まずは先手を打って梓潼の北東側の桟道を陣で塞ぐ事で敵の進軍ルートから外させると、曹操と馬忠隊が南東の桟道に入るのを待って出口に軍楽台を建てる。 すると狙い通り曹操は火計と馬忠(弩兵)の火矢で軍楽台を破壊しにかかった。 ここで明鏡持ちを伴ったエースの井蘭と、築城持ち楊修登場である。 陳式「ふはははっ、待ちわびたぞ曹操!貴様はこの桟道で死ぬのだ!」 楊修「お覚悟を!」 曹操「むう!?いかん!わしとした事がハマッたやもしれん」 馬忠(だったら一度引くべきじゃ……) それでも必死に軍楽台を壊そうとする曹操に、エースは容赦無く火矢を浴びせ、楊修が消火と補修を行ない軍楽台を死守。 1万を超えていた曹操の兵は見る間に減っていき、気力も火計で消費していった。 楊修「曹操の兵力が千を割りましたな。気力も10以下になりましたし、頃合かと」 陳式「よし!これで勘弁してやらあ!じゃあな曹操、好きなだけそこで軍楽台を叩いてろ!」 曹操「何ぃ!?まさかこのわしを放置プレイだと!!」 そして曹操の無力化を完了させると、兵を引かせる。 まだ馬忠の弩兵の攻撃は有るが、後は適当な文官に補修をさせれば十分だろう。 期せずして最大の難敵曹操を桟道に封印する事に成功してしまった。 後は成都を守りつつ曹操を一気に攻め滅ぼすだけの物資を揃えるだけだ。 話は多少前後するが、255年は司馬懿の残党の他にも一気に人材が増えた。 5月には南の橋をやはり軍楽台と土塁で封鎖して兵糧攻めにしていた孫登軍から孟達が寝返る。 そしてまた、捕虜にしていた李厳、陳武、諸葛瑾等が引き抜きに応じた。 魏延「俺の目的を知っていて尚、その誘いに応じるか。流石は諸葛瑾。大した度胸よ」 諸葛瑾「魏延殿がただの私怨で動かれているのなら、成都が落ちた時に私の首は胴から落ちていたかと」 魏延「ふっ……単に使い道がありそうだから、生かしておいただけだがな。期待している」 “奴”に兄の威厳を見せ付けたいだけ。 とも思えんが、奴の兄弟とは言え、俺とこいつの間にわだかまりが有る訳では無い。 配下になると言うのなら、内政の要として存分に働いてもらうとしよう。 ちなみに顧雍も捕虜にしていたのだが、残念ながら脱獄されてしまった。 更に10月。武力修行に出した霍峻が一人の豪傑を連れて戻ってきた。 邢道栄「邢道栄に御座います。諸国を周って見聞を広げていた所を霍峻殿と出会いまして、彼に仕官を勧められて参りました」 魏延「お、おおっ……武力差14でよく一騎打ちに勝てたな」 霍峻「ダメもとで防御重視にしてたら、偶然にも勝ててしまいました」 魏延「ふむ……今、諸国を周って見聞を広げていたと言ったが、鬼謀を覚えてみるか?」 邢道栄「そ、某に鬼謀ですか!?」 霍峻「なるほど。あえて脳筋、いや、武勇に優れた者に習得させて、計略隊の護衛に組み込む訳ですな」 魏延「そうだ。見聞を広めた今のお前なら可能なはずだ」 邢道栄「ははっ、必ずや鬼謀を習得してみせます!」 まあ、正直な所は既に我が軍内では武官としてもイマイチだったので、こういう手をとってみた。 ちなみに組ませるのは司馬懿ではなく、この男である。 魏延「ようやくお前を得る事が出来たな。賈詡よ」 賈詡「私もこの日が来る事を待ちわびておりました!」 11月。安定と天水から孫策に攻められ、ついに長安の呂布が滅んだ。 当然、その直前に陽平関を捕縛持ちで落とし、賈詡や高順と言った呂布軍の主力級は全て捕虜にしてある。 孫策は領地を得られたが人を得られず、俺は土地は得られなかったが人を得た訳だ。 長安は勿体無くはあるが、優秀な人材が居れば土地なぞ後からいくらでも手に入る。 逆に孫策は限られた人材を分散させる羽目になり、一都市あたりの戦力低下は免れまい。 言わばこれも、益州平定後の孫策との決戦を睨んでの布石である。 しかし、陽平関の金と兵糧が無くなってから数年。 武将達も餓死してやしないかと心配だったが、意外にも皆元気そうであった。 貂蝉「こうなっては仕方ありません。魏延様にお仕えしましょう」 高順「是非も無し……」 陳宮「貂蝉殿が下るのであれば、呂布殿が来られるまで某がお守りせねばなるまい……」 呂布は安定に行ってしまったが、速攻で貂蝉を押さえたのでゲットしたも同然。 その後も次々と元呂布軍の人材は仕官に応じ、我が軍の武将層は一層厚くなった。 一年半程内政に励んだお陰で成都の兵は7万を超え、兵糧の備蓄も十分である。 機は完全に熟した。 魏延「年明けと共に出兵する!曹操に引導を渡すぞ!」 第6話『掲げよ!天下への旗印!』 256年1月。成都の兵は7万を超え、兵糧も一年以上派兵出来るだけの蓄えが出来た。 曹操との決着をつけ、益州を平定する時が来たのだ。 まずは年明けと共に李厳と特技を築城にした司馬昭の二人に弩兵を預け、陽動部隊として東の間道から江州へと向かわせる。 江州の兵は3万程度。囮で2~3部隊釣ってやれば、最早本道を行く本隊を阻む力は皆無、城は落ちたも同然だろう。 高順等登用したての元呂布軍の武将達の忠誠を上げつつ到着を待ち、本隊は一月後に出兵する予定だったのだが……ここで予期せぬ事が二つ起きた。 我が軍にとって良い事と、悪い事が一つずつだ。 まず、良い事と言うのは、成都の南西部で二つ目の廟を発見した。 陳式「フッ、ついに俺も覇王になる時が……」 魏延「賈詡に神算で!」 賈詡「恐れ入ります。この賈文和の神算で、魏延殿を天下へと導きましょう!」 陳式「え~……」 陳寿「妥当な選択かと」 これで神算+鬼謀+百出の最強計略部隊が組める様になった。 知力の高い武将の多い曹操軍を相手にするには、司馬懿等深謀+鬼謀+傾国だけではやや心許無かっただけに、賈詡に神算を付けれたのはデカイ。 一方、悪い事とは……曹操と共に襲来していた馬忠の忠誠が90を割り、引き抜けそうになった事だ。 司馬懿「馬忠は無策な曹操への不満を募らせている様子。私に任せていただけるなら口説く自信は御座いますが……いかがいたしましょう?」 魏延「う~む……馬忠自体は使えるのだが、曹操に逃げられてしまうのがな……」 賈詡「しかし、放置してもし他の勢力に寝返れば、曹操だけでなく馬忠にも逃げられてしまいますぞ」 魏延「やむを得んか。司馬懿、お前に任せる」 司馬懿「吉報をお待ち下さい」 ~梓潼の桟道にて~ 馬忠「軍楽台を叩くしか能の無い曹操には付き合ってられん!これより我等は魏延殿に味方する!!」 曹操「おのれ馬忠、この曹操を裏切るか!?いや、この場合よく寝返ってくれたと言うべきか……皆の者、馬忠隊に攻撃せよ!」 馬忠と弩兵5千を得られた物の、案の定曹操は馬忠隊に攻撃して自滅し、まんまと逃げられてしまった。 これで曹操との直接対決は避けられなくなったが……まあ、こちらには賈詡の神算、玲綺の疾走、そして俺の覇王が有る。 総合一位のステータスを持つ乱世の奸雄とて、先手を取って混乱させればちょっと堅いだけの相手にすぎん。 2月。新加入組が成都に到着し、決戦の為の軍議を開く。 魏延「まずは、主簿将軍エース陳式」 陳式「おう!」 魏延「漢中の守備は任せた!!」 陳式「おう……って、また留守番かよ!?ってか、逆に恥ずかしいから主簿に将軍付けなくていいから!!」 魏延「漢中が断続的に羊祜軍からの襲撃を受けている事は、お前も知っていよう? 今の所敵兵の数も少なく、“蜀鬼”傅僉の奮戦もあり事無きを得ているが、そろそろ長安を落とした孫策軍がその矛先をこちらに向けてくる頃合だ。 そうなれば、傅僉だけではさすがに手に余る。 我が軍にとっての心臓部、いや、魂とも言える漢中に、万が一が有ってはならん。行ってくれるな?」 陳式「それなら、高順とかをわざわざ呼ばずに、そのまま守備に就かせれば良かったんじゃ……」 魏延「エースであり唯一無二の友であるお前にだからこそ、大事な一戦で背中を預けられると言う物だろ?」 陳式「ま、まあ、そこまで言われちゃ仕方ねえな。了解した」 魏延「うむ、頼んだ。ああ、そうそう、呂布が来たら丁重にな」 陳式「うげっ!?」 魏延「まあ、漢中には陳宮を残しておいたから、奴とうまくやってくれ。 では、江州攻めの編成に入る。龐徳、呂玲綺、それぞれ騎兵7000と6000で先鋒を任せる」 龐徳「はっ!」 呂玲綺「お任せ下さい!」 魏延「そうそう、玲綺にはこの李広の弓をやろう」 呂玲綺「これが前から欲しかったのです!この弓で、かならずや曹操の息の根を止めてみせます!」 魏延「いや、奴も配下にしたいから程々にな」 陳式「いきなり貢いでるし……」 魏延「ち、違う!玲綺は特技の性質上一騎打ちの機会が多いし、相性的に忠誠も下がりやすい。曹操を倒せばどうせ所持アイテム数が10を超えるから保険で授与しただけだ」 陳式「まあ、いいけどさ……呂布の娘だぞ?」 魏延「だからこそ、これは元呂布軍将兵の代表としてだな、彼等を歓迎する意味合いでもある。 どうだ?必然性だらけだろ?むしろ必然性しかない!」 陳式「役所君……」 魏延「ちっ、心配せずとも、曹操を倒して左慈が来たらちゃんとお前等にも分けてやる。 話を戻すぞ。本隊は俺自ら率いる槍兵11000。 賈詡と司馬懿は騎兵2000で敵の撹乱を、張郃・高順・呉蘭は井蘭で後詰につけ」 一同「ははっ!」 曹操との決着をつけるべく、本隊48000、先行させた別働隊と合せ計6万の軍勢を出撃させた。 成都が手薄になるが、孫登は南の曹丕から攻められ滅亡寸前。更に牽制の輸送隊を出し、念の為に陳武を残しておく。 3月。李厳等陽動隊が北から江州領に入り、狙い通り典満等三部隊18000が迎撃に出てきた。 敵に弩兵が無い事を確認し、一本道の出口に軍楽台を建て盾とし、弩で一方的に削る。 同月。あっさり孫登が滅ぶ。 仁政孫登が流れて来る事を期待したが、父を慕ってか陳表が流れて来た物の、他の目ぼしい武将は全員曹丕領か江州に行ってしまった。 4月。読み通り、孫策軍が長安から陽平関を狙って出撃してくる。 陳式「俺が着いた早々、本当に来やがったよ……」 陳宮「超級はかえって敵の動向が読み易くはありますが、さすがは魏延殿ですな」 傅僉「敵将は君主孫策自らと太史慈、共に騎兵で総数2万程の様です」 陳式「おもいっきり精鋭だな……。敵さんも本気みてえだ」 陳宮「しかし騎兵二部隊、それも君主が先陣とは……となれば?」 高翔「ここはGH2作戦しかあるまい!」 陳式(俺の台詞取られた~!てか、高翔居たのか……) どうやら孫策との戦は、初手で早くも詰んでしまったようだ。 呂布の時と同様陽平関を孫策に明け渡し、続く太史慈を1ooo以下まで削って放置しておけば勝手に自滅するだろう。 精々エースの兵器適性上げの的になってくれ。 同月。本隊が江州領に侵攻。 狙い通り迎撃に出てきたのは曹純一隊のみ。 すかさず賈詡が撹乱し、北から引き返してきた一隊も司馬懿が撹乱、更に龐徳が一本道入り口を石壁で封鎖し、二部隊を一本道に閉じ込める。 守備隊を無力化した間に高順等兵器隊を城に取り付かせ、江州は5月に落ちた。 7月。守備隊残党殲滅後、全部隊を一度江州に入れて補給と忠誠上げを済まし、新たに得た爵位での官職を配分すると、間髪入れず再編した6万の軍勢で永安に向かう。 永安の兵力は5万近くあったが、事前に兵1の輸送隊を永安北の桟道に向かわせており、典韋と許褚の二部隊14000を東に釣って残るは3万5千程。 これは年内益州平定も余裕か……と思っていたのだが、腐っても曹操、そう簡単にはいかなかった。 盾と釣りを兼ねた軍楽台を永安の城から7マス目の本道に建て、その南側には石壁。 これで敵はこちらを直接攻撃出来ず、軍楽台に群がった所を撹乱と火矢で殲滅する作戦である。 だが、迎撃に出てきた曹操軍は軍楽台から一定の距離を保ったまま、火球のみで軍楽台を執拗に攻撃してきたのだ。 これでは兵の損失こそ無い物の、こちらも攻撃出来ない。 魏延「曹操め……小癪な真似を」 呂玲綺「魏延様、これでは埒が開きません。ここは私が討って出て、道を切り開きます!」 魏延「いや、敵は曹操、満寵等4部隊。リロード不可のルールでは、戦法と計略失敗で最悪3部隊無力化出来ず、こちらにも相応の被害が出よう」 呂玲綺「ですが……」 魏延「敵部隊の金もそろそろ尽きる。ここは当初の作戦通り敵が群がるのを待て。 無論、俺とて新たに打てる手は打つ。高順、一度江州に戻り、捕虜の郭援を連れてこい」 高順「はっ!」 江州攻めで捕虜にした郭援には射程の特技が付いていたのだ。 順調に忠誠も下がっており、この状況を打破する切り札として奴を用いる事にする。 戦線はこう着状態のまま10月を迎え、ようやく曹操軍は直接軍楽台を叩きに来た。 しかし高順はまだ到着せず、射程的に盾の裏から攻撃出来るのは、こちらも二部隊のみ。 一方的に攻撃してはいるが、敵も徴兵を繰り返している為、なかなか敵兵は減っていかない。 投石か、せめて射程を取ってから挑むべきだったか……? 「どうせ射程持ちは敵勢力で量産される」と能力研究で射程より知力系を優先させたが、ここまで得られたのは郭援のみ。 それが誤算と言えば誤算である。得られる確証の無い物を当てにしちゃいかんと言う事だな。 ちなみに、知力・高を研究したら洞察が出た。 ま、まあ、“奴”との決戦では使えるから善しとしよう……。 各隊には300日分の兵糧を持たせていたが、それが半分になるとさすがの俺も少し弱気になる。 力攻めに出る事を考慮していた俺は、そこである事に気付いた。 そういえば、曹仁はどうした? 敵の主力であるはずの曹仁と曹洪の姿を、ここまで一度も見ていない。 城の面子の中にも名前は無く、荊州方面で捕虜にでもなっているのか?と巫県港を確認すると、そこに奴等は居た。 曹沖と孫登も一緒に。 魏延「全軍前進!!目標は巫県港!!」 これはマズイと、即座に総攻撃を命じる。 勢力が滅ぶと、港に居る武将は在野に流れてしまうのだ。 この俺とした事が、危うく凡ミスで良将と仁政持ちをみすみす逃す所であった。 危惧した通り、俺の乱突と玲綺の戦法が不発し、突出した玲綺隊が敵の洗礼を受けたが、何とか敵を無力化・殲滅し、二ヶ月と経たず兵器隊を城に到達させる。 だが、それではこの戦は終われない。 兵舎を破壊し、呉蘭の井蘭のみで城兵を削りながら、残りの騎馬隊と兵器隊を巫県港に向かわせる。 港には7000の兵が屯駐していたが、近くに囮の軍楽台を建てても迎撃に出てこず、火球をぶつけると燻り出された様にようやく曹洪が出てきた。 これを殲滅し、残った兵を井蘭で削って港を落としてから、257年3月、永安を陥落させて曹操を滅ぼす。もう一月決断が遅ければ、兵糧が尽きていたであろう。 9ヶ月もかかった上に最後は力攻め、3000人近い兵を失う情けない戦ではあったが、この魏延がついに益州を平定し、名実共に巴蜀の覇王となったのだ。 だがしかし、感慨に浸っている場合では無い。 これまでは益州に集中していて周囲にのみ気を配っていたが、改めて中華全土の情勢を確認すると、非情にマズイ事になっていた。 第7話『魏延流南征北伐』 257年4月時点の大まかな勢力状況を説明しておこう。 まず、江東では孫堅が柴桑以外と寿春の5都市を所領とし、何故か不倶戴天の敵である董卓を放置して息子の孫権領の江夏を攻めていた。 その孫権は、江夏の他に新野と我が軍と接する江陵の3都市を所持。 襄陽と上庸を治める羊祜と互いに争ってくれるとありがたいのだが、一向にその気配は無い。 代わりに、大陸中央部5都市を支配下に置いた関羽殿がたまに上庸を攻めてはくれている物の、本腰では無いのか失敗に終わっている。 孫策は長安と西涼の4都市を制覇した物の、我が軍のGH2作戦で既に詰み。 河北では鄧艾・袁術・諸葛誕が覇権を争っていた。 まあ、ここまではほぼ順当なのだが……本題はここからである。 中華全体図を見た時、俺が真っ先に驚いたのは『荊南が緑じゃない!?』事であった。 そう、緑=劉備殿の勢力である。 この英雄乱舞シナリオでは関羽殿・張飛殿は居ない物の、趙雲殿や黄忠の爺、実戦派軍師法正を擁し、大陸制覇の最大障壁となるであろうと予想していた。 だが、どう言う訳か今回は曹叡軍に荊南3都市を奪われ、零陵一都市の防衛に追われていたのだ。 大恩ある劉備殿の窮地とあっては助けに行きたい所ではあるが……悲しいかな今は敵同士。 滅んだら是非とも趙雲殿と爺さんを連れて我が軍に来て頂きたい。 そして最後に、一番問題なのが“奴”だ。 徐州2都市と北海を取ってはいたが、その北海は袁術の猛攻を受けて陥落寸前、そして南からは孫堅が迫っている。 ……俺が手を下すまでもなく、滅びそうなんだが……。 そういえば、開始一年と経たず徐庶が戦死していたが……やはりな。 しかし、一応のラスボスに途中敗退されては、元も子もない様な……。 これは強引にでも中央に打って出て、孫堅を牽制しておくべきか? そう考えなくもなかったが、物量的にそこまでの無理は厳しい。 下手に江陵や上庸に出ると、四方から攻められ防衛で時間を浪費しそうだしな。 やはりここは無難に後顧の憂いを断ち、その余勢を駆って一気に中央部を制圧すべきだろう。 すなわち我が軍の当面の戦略は、南征北伐である。 まあ、滅んだら滅んだで、奴が流れ着いた勢力をラスボスにすれば良かろう。 戦略が決まった所で、南征の準備を開始する。 と言っても、曹操攻めの間に5万の兵と軍備を成都で整えておいたゆえ、後はそれを率いる将を呼び寄せるだけだ。 永安の守備を張郃と陳武に、玲綺や高順等を漢中に回し、俺は新加入した曹操勢と共に成都に帰還する。 ここで困ったイベントが起きた。 曹操を知力・高の修行に出した所、軍師司馬懿との舌戦が発生したのだ。 敬語の曹操に対しタメ口の司馬懿には笑えたが、これには頭を悩まされた。 別に曹操なら司馬懿に勝つ事自体は十分可能だが、問題はそこではない。 開始から7年目だと言うのに、曹操の知力は初期値の91。 つまり、内部経験値が相当溜まってそうだが、仮にこのイベントで知力が上がったら、修行後は96になってくれるのか? それともイベント→修行終了知力アップで処理され95で頭打ちか? セーブ&ロードで確かめたい所だが、残念ながらリロード禁止プレイである。 まあ、恐らく後者であろうから、無難に負けておく事にした。 負けても多少経験値は入る為、最悪負けでも知力アップの可能性もあったが、幸いそれも起きなかった。 それにしても、このイベントはあまり意味が無いと思うのは俺だけだろうか? 知力・高は今回の件の様な事も起きる可能性が有る。知力が低いとそもそも滅多に勝てない。 舌戦経験値が一回分入るだけでは、まだ技巧研究でもした方がマシである。 6月。その技巧研究を自ら手がけ、最強技巧投石を完成させた。 これで南征の、いや、天下統一の準備は全て整ったと言える。 最早我が軍に敵はいない。 そこで俺は、曹丕への降伏勧告の使者として、曹操を建寧に派遣した。 曹丕「これは父上。魏延に降ったと聞きましたが、亡命の打診ですか?」 曹操「子桓。此度の南征は、わしが指揮する事になっておる」 曹丕「ほう」 曹操「だが、同族同士争い合う事もあるまい?勝敗は既に決しておる。大人しく降れい!」 曹丕「フッ、曹孟徳ともあろう方が世迷言を。この様なシナリオを待ち望んでいたのは、魏延だけではないのですよ。 使者殿、帰って主に伝えられよ。『父を越える機会を与えてくれた事、嬉しく思う』とな」 曹操「よかろう。だが、この曹孟徳の壁、易々と越えられると思うなよ?」 当然ながら勧告は失敗に終わる。 ならば望み通り攻め滅ぼすまでよ。 7月。曹操を総大将に、元曹操軍に龐徳を加えた陣容で、健寧に向け出兵させた。 俺はと言うと、暫く成都で李厳や董允と共に自己鍛錬に励むつもりだ。 ここらでクリア条件の能力と技巧Pを荒稼ぎすべく、李厳の乱射で味方を撃ちまくる。 指導効果もあり、面白い様に上がっていく技巧Pと統率・武力。 しかし、やはり失敗があるのが玉にキズ。 リロードできればもっと効率は上がるのだが……。 10月。漢中に、長らく放浪を続けていたあの男が現れる。 陳宮「お喜び下さい!天下無双の呂布殿が、ついに漢中に来られましたぞ!」 呂布「魏延殿が歩兵を率いて、私が騎兵を率いれば、天下の平定は簡単なことでしょう」 魏延「それは違う。俺もお前も率いるのは歩兵(槍兵)だ!」 呂布「むう!?では、我が軍の騎兵は誰が!?」 魏延「他にいくらでもいるだろう?呂玲綺とか。呂玲綺とか。呂玲綺とか」 呂玲綺「父上、呂布軍の精鋭は私が率いますゆえ御安心を」 呂布「そうか。まあ、玲綺なら良かろう……貂蝉から聞いたが、かなり重用されておるとか?」 呂玲綺「はい!つい先日も絶影と七星宝刀と短戟を頂きました!」 陳式「重用と言うか、寵愛だな」 魏延「違う!先鋒を務める玲綺に、戦法による突発的な一騎打ちでもしもの事があってはだな……」 貂蝉「青春ですわね」 貂蝉のおかげか、呂布も割とすんなり仲間になった。 駒も揃い、孫策軍の大部分は既に陽平関に集結している。 そろそろ北伐にも乗り出すとしよう。 258年2月。曹操が建寧を落とす。 一度建寧で補給後、引き続き雲南攻略に向かわせる。 5月。長安から陽平関に増援が出撃し、長安の将は3名のみに。 これで孫策領はどの都市も各3名になり、攻勢はほぼ打ち止めだろう。 そう見てとった俺は、元呂布軍に陳式と司馬懿を加えた約3万の部隊を、上庸側の間道から長安に向け出撃させた。 長安の兵力は5万を超えていたが将は3名の為、迎撃に出てきたのは2部隊のみ。 これを撹乱と乱突で難なく無力化し、城に迫る。 が、ここで予想外の敵の3部隊目が現れ、玲綺隊が強力な火矢を浴び炎上してしまう。 蒋欽「食らえ!これが江東、いや、西涼一の弓将の力だ!!」 呂玲綺「何、蒋欽だと!?一体何処から!?先程まで長安には居なかったはず!?」 司馬懿「どうやら長安の救援に、武関から移動してきた様だな。小癪な真似を」 呂布「この俺を差し置いて、西涼一だと!?笑わせるわ!!(乱突)」 蒋欽「ぬおっ!!これが天下無双の一撃か!?これでは兵が言う事聞かん!!」 陳式「でも、今は槍兵だけどな」 呂玲綺「蒋欽!私と戦え!」 蒋欽「なめるなよ!女!!」 威勢よく一騎打ちを受けた蒋欽だったが、あっけなく玲綺に敗れ捕らえられる。 それで敵は意気消沈したか迎撃に出てくる部隊は無く、4万近い兵を残しながら10月に長安は陥落した。 被害も火矢の一撃のみである。 陳宮「呂布殿!ついに長安を奪回しましたな!」 呂布「フッ、次は貴様の首だ孫策!!」 司馬懿「いや、我々の次の目標は天水だ」 11月。成都に南征に向かっていた曹操等が神妙な面持ちで帰還する。 曹操「済まぬ。わしの不明で、あたら多くの兵を失ってしまった」 龐徳「いや、曹操殿に咎はござらん。射手を失念し、不用意に高台下の森に布陣したのは拙者の失態ゆえ」 魏延「そうか……それで、文字通り一矢報いた気持ちはどうだ?曹丕よ」 曹丕「くっ……私の負けだ。好きにしろ」 雲南もまた10月中に落ち、南蛮王曹丕は滅亡した。 建寧戦も合わせて被害は、こちらも火矢の一撃のみ。 やはり曹丕にとって曹操は越えられぬ壁のようだ。 こうして曹丕勢力も加わり、大幅に戦力アップとは言い難いが、射手持ち2人が加わった事は地味に嬉しい。 そしてこれで後顧の憂いは無くなった。 そろそろ荊州方面にも進出するとしよう。 第8話『西方から来た刺客』 ※無双6の影響で無双テイストが強まっておりますが、ご了承下さい。 間道からの電撃作戦により長安を落とし、我が軍は献帝を擁立した。 1800年前にこれをやれておればな……。 もっとも、今の我が軍には飛将・呂布や、あの時敵方だった司馬懿がこちらについているのだから、比ぶべくも無いのだが。 既に皇甫嵩に廟を破壊させて玉璽も得ており、これで名実共に官(漢)軍になったと言えよう。 まあ、だからと言って外交で有利になる事はまったくない訳だが……。 それどころか、割合良好だった勢力までがこちらに牙を向いてきた。 江陵の孫権である。 実は南征の間、孫権とは停戦していた。 それも奴の方から話を持ち掛けて来たので、父親に奪われた江夏の奪回か、襄陽でも攻める物だと思っていたのだが……。 しかし、江陵の兵は8万近くになっていると言うのに、襄陽の羊祜が関羽軍に奪われた上庸奪還に大軍を出しても、奴等は一向に動く事はなく。 260年5月、停戦が切れると同時に孫権は甘寧・呂蒙等精鋭5部隊約3万の軍を、兵力8万以上の永安に向けてきたのだった。 曹操「孫権め、我が軍の南征が予想以上に早く完遂した事で、慌てて攻めて来おったか」 陳武「留守役ばかりだったが、ついに出番が来たか!(陳)表、戟を持て!魏延殿、御下知を!」 魏延「うむ。今回の戦では、敵軍を迎撃後、そのまま江陵を落とす作戦でいく。 曹操、張郃、龐徳、曹仁は騎兵で急行し、敵領北西端の森林地帯を押さえよ。 李厳、満寵は弩兵、典韋、許褚、呉蘭は投石で後に続け。俺も槍兵で出る」 陳武「……」 魏延「ああ、陳武」 陳武「ははっ!!」 魏延「永安の守備を任せる!!」 陳武「なんとっ!?」 陳武には悪いが、武陵の曹叡が動く可能性もあるゆえ、最低限の守備要員は必要だろう。 いや、別にもう戟を使う必要も無いとか思ってはおらんぞ。 いざと言う時に頼りになるのは、やはり戟だ。 今後その時が来るかはわからんが……。 敵の3万に対し、こちらはほぼ永安の全兵力約8万の軍勢を出撃させた。 守るだけなら少数の部隊で渡を防衛すればよいが、永安~江陵間はかなりの距離があり、敵を撃退してる間に兵力を回復され、延々攻め続けられかねない。 ここは総力戦で一気に勝敗を決するべきだろう。 甘寧「おい、おっさん!何だよありゃあ……!?」 呂蒙「むむ……!?まさか、森全体を一つの巨大な陣としたと言うのか!」 徐盛「非常に不味いですな。これではこちらの攻撃は一切届かず、そして奴等には弩や投石が多数」 呂蒙「これがあの曹操を破り、益州に覇を唱えた魏延軍の用兵か……恐るべし!」 まずは急行させた騎兵4部隊に、森に沿う様に軍楽台と石壁を連ね、江陵領内に橋頭堡を築かせる。 そして投石隊が到着すると、一方的な虐殺が始まった。 孫権軍は井蘭や火球で軍楽台を破壊を試みるも、築城持ちの騎馬隊と我が槍兵隊が修復。 軍楽台に群がった部隊を、壁越しに曹操の計略と弩や投石が襲い、次々と壊滅させていく。 敵の攻撃部隊3万と迎撃部隊4万を屠り、敵がまとまった戦力を出せなくなった所で、前もって退かせた曹仁隊に続いて李厳隊も守備に回し、残りの部隊で進軍する。 無謀にも1~2部隊で挑んでくる守備隊を蹴散らしつつ江陵の内政施設まで迫った時、ある男が我が眼前に立ち塞がった。 ???「ここは通行止めだよ。通りたいなら、俺をやっつけなよ」 魏延「誰だあの軽薄そうな奴は?あの風貌からして、漢人では無さそうだが……」 ???「ちょいちょい!仮面かぶって片言のあんたにだけは言われたくないよ!」 魏延(無双)「我、オ前、殺ス!!」 曹操「孫権は髭が赤く碧眼である事から、混血では無いかと言う噂を耳にした事があるが……母方の国の者ではないか?」 ???「そういうあんたも、相変わらずサOーちゃんのパパみたいだよね!」 龐徳「手にしている業物はもしや……巨大な筆では!?なんと面妖な……」 ???「君は今回もリストラされちゃったんだよねえ。可哀相に。でも、俺もただの噛ませ犬だし、気にする事無いって」 魏延「で、結局貴様は誰なんだ?」 馬岱(無双)「馬岱だよ!俺の事を忘れちゃうなんて、冷たいねえ」 魏延「そうか……ならば我が乱突を食らえ!!」 馬岱「わおっ!!部隊が混乱しちゃたよ。こいつはヤバイねえ」 魏延「馬岱よ。もう一度、この俺を殺す自信はあるか!?」 馬岱「さっすが魏延!わかってるねえ!いざ尋常に勝負よ!」 馬騰軍が滅びた後、孫権に仕えていた馬岱である。 実は、江陵にはこいつが居たので、わざわざ俺が出張ってきた訳だ。 のこのこ一隊でやってきた所を、乱突で混乱させてから1000以下まで削り、俺自ら一騎打ちを挑む。 俺の武力は既に96になっており、85の馬岱とは10以上の差があったが、武門の意地かそれでも奴はすんなりと応じた。 馬上で数合打ち合うも、武力差11、アイテムフル装備の俺が負けるはずも無く、最後は暗器であっけなく沈み、馬岱の捕縛に成功する。 馬岱「はははっ、強いねえ。やっぱり、不意打ちでもしないと勝てないよ。 さあ、覚悟は出来てる。出来れば一思いにズバッとやってくれると、ありがたいよ」 魏延「その前に、一つ訊かせてもらおう。あの時俺を斬ったのは、一体誰の差し金だ?」 馬岱「そりゃあ、だって、目の前で「俺を殺せる奴はいるか~」とか叫ばれたら、つい斬ってみたくなるのが人情でしょ」 魏延「……お前の筆で、チョビヒゲと額に『名族』と書いてやろうか?」 馬岱「ちょい待ってよ!声は似てるけど、俺は名族の人じゃないよ! 別にあんたに恨みは無かったけど、丞相の遺言とあっちゃ、やらない訳にもいかないよね」 魏延「そうか……おい、こいつを牢に入れておけ。進軍を続けるぞ」 馬岱「あれ?斬らないのかい?」 曹操「ほう、自分を斬った相手でも許すか」 魏延「ふん、あまりの軽薄さに、斬る気が失せたわ。それにこいつ一人を斬って、お前のように馬超等一族郎党から恨まれたくは無いからな」 曹操「今作では、例え義兄弟を殺そうとも恨まれん事は知っておろうに、ぬかしおるわ」 まあ、こいつを斬るとなると、あの時楊儀の肩を持った四相全てを斬らねばならんしな。 馬岱を捕虜にした後も引き続き進軍し、260年1月、江陵を陥落させる。 さて、荊州進出と時同じく、北では北伐を継続していた。 長安の復興と守備に司馬懿・貂蝉・陳宮を残し、一度呂布軍を漢中に呼び戻すと、賈詡を軍師につけ兵3万を天水攻略に向かわせる。 天水も4万以上兵が居たが、将の数は3名。つまり、迎撃には2部隊しか出ては来ない。 北西の桟道を進んだ呂布軍は難無くその2部隊を無力化し、259年3月、天水を落とした。 そして、そのまま補給もせずに安定に直行させる。 安定も将は3名だが、事前に長安から囮を出し、東に2部隊を釣っておいた。 つまり、本隊を阻む部隊は0。 そこで、足の遅い槍と兵器隊は天水の守備も兼ねて武威に直行させ、安定は騎兵と輸送隊の火球のみで攻略する。 爆薬練成の技巧を既に取っていた事もあり、6月、安定も業火球であっさり陥落。 これで孫策領は残す所武威と陽平関のみとなった。 しかし、ここを守る将は他でもなく“あの男”である。 陳式「さて、いよいよ北伐もここで最後だが……よりにもよって太守はあの周瑜かよ」 呂布「フン、空き巣の次は放火魔か。二人揃ってこの画戟の錆にしてくれる!」 陳式「孫策が居るのは陽平関だけどな」 呂玲綺「父上、この地は砂地が多く、槍兵には不向き。ここは私にお任せを!」 賈詡「いやいや、周瑜の相手はこの賈文和に任せていただこう。司馬懿殿では荷が重かろうと、折角“筆頭軍師”である私が出張ったのですからな」 司馬昭「これは異な事を。我が軍の軍師は父上ですぞ。つまり、魏延殿が最も信頼されている軍師は、我が父司馬仲達に他なりません」 陳式「単に面倒だから代えてないだけだと思うが……」 高翔「まあまあ、魏延殿は諸兄等の力を見込んで、難敵・周瑜が守るこの地に集められたのだ。圧倒的な力の差を見せつけ、奴等を屈服させる為にな(ニヤリ)」 陳式(こいつ、またオイシイ所を!) いかに周瑜であろうと、この精鋭の前では敵では無い。 とは言え、何の警戒もせず一気に敵領に侵攻する様な愚は犯せば、多くの兵を失おう。 まず、囮の軍楽台を建てつつ、敵の攻撃が届かず内政施設を攻撃出来る位置、武威領南西側に騎馬と兵器隊を侵入させる。 そして、周瑜他一隊がのこのこ出てきた所を、計略と戦法であっさり無力化し、投石隊が砲撃。 259年12月、エース陳式が投石により武威を陥落させ、孫策は滅んだ。 孫策「チクショウ!!まったく何も出来ずに負けちまったぜ!!」 呂布「フン、雑魚めが。まともに戦えば、貴様等なぞ俺の敵では無い」 孫策「だから、まともに戦ってもいねえだろうが!」 司馬懿「戦わずして勝つ事を最上としているのは、他ならぬ孫子の一説であろう。周瑜、貴様はどうだ? 敗北を認め我等と共に諸葛亮を打倒するか?身の程もわきまえず、凡愚に成り下がるか?」 周瑜「フッ、周到なお前達の事、大喬と小喬は既に確保しておるのだろう?ならば我等に拒否権なぞ有るまい」 賈詡「まっ、そういう事。暴れ足りないなら、これからいくらでも場所は提供しますよ。とりあえず、関羽なんてどうだい?」 孫策「関羽か、面白え!こうなっちゃ仕方ねえ、よろしく頼むぜ!」 こうして北伐は成り、益州に加え涼州の地と、優秀な孫策の家臣団を得た。 だが、我が軍の進撃は最早止まる事は無い。 長安と漢中に物資と将を集め、次の戦に備えるのだった。
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武力2は驚いた -- (名無しさん) 2011-03-19 18 43 19 有能な文系のお友達が多いのだが残念なことに舌戦で勝つのは絶望的。S2なら他のお友達は未登場なので 早期に書物が手に入れば見込みはあるかも知れない。一蹴されなければの話だが・・・ -- (名無しさん) 2011-03-19 22 12 24 ↑小心なので、知力を80までひっぱって書物を与えれば十分勝ち目はある。 他2人はともかく、諸葛瑾はデフォルト状態だとはっきり言って舌戦はあまり強くないので、結構余裕で勝てる。 ただし逆に言うと諸葛瑾で諸葛亮を連れてくるのも非常に厳しいので、イモヅルを狙うのなら彼を育てたあとにまた諸葛瑾を育てることになるが…… まあ驢馬兄さんは自体が論客持ちなので、育成が無駄になることは決してないのが救い。 -- (名無しさん) 2016-09-01 13 53 43 序盤シナリオで加入したら是非内政系特技を付けたい人。登場するのが早い&寿命が非常に長いので無駄にならないはず。 それに、戦場に出る事はまず無いだろうし -- (名無しさん) 2016-09-29 01 30 01 この人の「小心」は何が原因なんだろうか? 演義で降服派だったことか、魯粛の後を継ぐのを泣いて断ったことか・・・ 少なくとも劉穎との話を見る限り、謎・・・ まあ軍事的に無能なのは納得。 -- (名無しさん) 2017-05-06 17 36 54 長寿は正義 短命な英雄より長寿の凡将 知政魅は強化してもいいし、しなくてもよい 特技もないので思い思いの育て方ができる 可能性に溢れた呉の名文官 -- (名無しさん) 2017-05-06 23 13 06 ほぼ全てのシナリオで内政役として頑張ってくれる武将 孫家であればありがたみは薄いが、ホワイトタイガーこと厳白虎など 江南豪族たちにとってはこいつが部下になるかならないかで大きく変わってくる -- (名無しさん) 2017-05-07 21 18 56
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ルール(縛り) 難易度超級、戦死標準、登場史実、武将編集無効 自勢力武将以上の能力値を持つ武将の登用禁止(陸抗除く) 登用禁止武将の配偶者、義兄弟の登用禁止 軍師は陸抗で固定(陸抗登用までは杜預で固定) 廟での『覇王』『○神』『飛将』『神将』『勇将』『神算』『虚実』『捕縛』の習得禁止 外交コマンド禁止 土塁などを用いた技巧ポイント稼ぎ禁止 <前章までの勢力図> あらすじ 襄陽から永安を攻めて制圧 もうすぐ江州に攻め入ることができそう 第四章 巴蜀の動乱 258年1月。江州の曹操軍は成都の張魯軍に攻められ苦戦中であった。 一方でその張魯軍も梓潼を司馬懿軍に、成都を曹丕軍に攻められ、四面楚歌な状況に陥っていた。 この機を逃す手は無い。未だ永安の物資は十分ではなかったが、疲弊した江州を攻略するために部隊を派遣する。 胡烈「襄陽に援軍として向かった王渾殿や兄上が戻ってきていませんが、よいのですか」 杜預「今は兵力が回復する前に少しでも早く江州を叩くことが先決だ」 陸抗「そのため、現在永安にいる武将のみで部隊を編成します」 江州攻略隊のメンバーは以下の通り。 陸抗&周旨&張球の騎兵A隊7000 杜預&唐彬の弩兵S隊7000 王濬&牛金の戟兵S隊7000 楽進&胡烈の井蘭S隊5000(胡烈は特技『射程』を付与済み) 江州領に侵入しても、張魯軍をやっと撃退して疲弊している曹操軍からは、さしたる抵抗は無い。 于禁・典韋・曹操本人らが迎撃してくるも、兵の気力が切れて直接攻撃しかしてこない。 王濬隊の熊手戦法で敵部隊の位置を変え、杜預隊の貫矢でまとめて兵力を削り、『精妙』持ちの陸抗隊でとどめを刺していく。 その間に楽進隊で城兵を駆逐し、258年5月、最後は杜預隊の攻撃で曹操軍の本拠地江州を制圧した。 胡烈「さすがは楽進殿。兄上以上の攻城っぷりでしたね」 楽進「我照///」 杜預「周旨、逃げた曹操を捕縛することはできなかったのか」 周旨「いやそれが、曹操の乗っていた馬が速いのなんのって。ささっと江陵に逃げられちまった」 羊祜軍が江州を攻めている間に、張魯軍の梓潼は司馬懿軍に占領された。 司馬懿軍は剣閣と葭萌関を通らず、間道に6部隊を通らせて梓潼を急襲するという奇策をとっていた。 剣閣と葭萌関でエンドレス攻防戦を行うのがCOMのお得意パターンなのだが、さすが司馬懿、なかなかスマートだ。 現状では周囲に兵力の大きい敵勢力がいないので、江州の復興は割とのんびりできる。 ただ、江陵の曹操軍がある程度兵と物資を蓄え込んできたのが少々心配なところ。警戒しつつ内政を行う。 この間に北では魏延軍が司馬懿軍によって、南では曹叡軍が劉備軍によって滅ぼされた。 その後長沙から襄陽に流れてきた司馬孚と費耀を登用。やはり費耀とは縁があるらしい。司馬孚も内政だけでなく廟・遺跡探索に役立つ便利な武将だ。 都市数が増えた割に武将数が伸び悩んでいたので、新規加入はとても有難い。費耀の方は『築城』を、司馬孚には『能吏』を付与して活躍してもらうことに。 そして259年4月。江州の軍備も完璧に整ってさあ攻めようと言う時に、梓潼の司馬懿軍4部隊が永安に向かっているとの報告が入った。 どうやら永安南西の間道を通ってくるらしい。 王濬「出鼻をくじかれましたな。とりあえずは永安の防衛に気を回さねば…永安には最低限の物資と人員しかいないゆえ」 陸抗「我が軍は難所行軍のできる兵がおりませぬので、間道に入る前に撃退するのがよいでしょう」 閻柔「なれば江州の北の渡に陣を築き、司馬懿軍が間道に入るのを阻止致しましょう」 司馬懿軍は江州の兵力で迎撃することにする。江州の北の隘路に陣を1つ築けば、敵は間道に入れない。 問題はそこがギリギリ成都領であることなのだが、成都の張魯軍は曹丕軍相手の防衛戦で手いっぱいだし、もし壊しに来たとしても司馬懿軍と潰しあってくれるだろう。 それにしても司馬懿軍の侵攻スピードは早い。物資のピストン輸送もしっかり行っているし、なんか補正でもついているのかと疑いたくなる。 江州の北で司馬懿軍を防いでいると、今度は反転して永安の北東に抜ける間道を使ってくるようになった。 だが、このルートで来る敵は江陵からの敵と同じく渡で完全封鎖できる。武将1人でも十分防げるし、兵糧切れも狙えるので問題はないだろう。 259年7月、江州の軍勢で成都を狙って進軍する。今回は襄陽から羊祜本人も呼び寄せて参戦させる。襄陽は満寵と司馬孚に守らせておいた。 成都攻略隊のメンバーは以下の通り。 羊祜&費耀の槍兵S隊7000 杜預&唐彬の弩兵S隊7000 王濬&張華の戟兵A隊7000 王渾&楽進の槍兵S隊7000 胡奮&胡烈の井蘭S隊6000 周旨&張球&閻柔の騎兵A隊6000 羊祜「幸い江州と成都の距離は近い。焦らずに段階を踏んで確実に侵攻していくとしよう」 胡奮「そうなると、まずは成都南東の兵舎の破壊が先決になりますね」 まずは成都南東の兵舎および周囲の市場を破壊してゆく。 張魯軍は非常に多くの物資を成都に蓄えていたため、市場1つを破壊するだけで1000以上の金が手に入る。 羊祜軍を迎撃に出てきたのも1部隊だけだったので、これを撃退しつつ、成都西の開発地も含め全ての施設を破壊して物資と経験値を稼ぐことに。 しかし、成都西の開発地の破壊を始めたころ… 張華「羊祜様、永安の楊肇から救援依頼がきております。どうやら司馬懿軍は行軍道中に強弩兵を得たようで、苦戦中とのこと」 羊祜「わざわざ突破の難しいあのルートを通ってきたのは、そういう思惑があったゆえか…さすがは司馬懿軍だ」 杜預「軍師殿とそれがしが援軍に向かいましょう。間道伝いに後続の軍が迫っているとの報もあるゆえ」 司馬懿軍はいつのまにか「強弩」を得ていたらしく、永安の渡の陣を挟んだ攻防が予想外の苦戦をしていた。 守将は楊肇と孔伷のみで、陣の補修をすると敵の強弩による集中砲火を浴びてしまい、 だからといって敵を攻撃すると陣が壊される上に兵糧不足の手助けをしてしまうという、悪循環に陥っていた。 さらには追加の5部隊が梓潼から永安に向かって進軍中であった。 羊祜「成都はいつでも落とせる。我らも成都の開発地の物資をあらかた接収したら、江州に退却するぞ」 王渾「曹丕軍が迫っているとの報告もありますしな。かの軍と交戦になる前に離脱しましょう」 こうして成都領に残っていた他の羊祜軍の部隊も江州に退却させる。 正直張魯軍には、羊祜軍と相性が良くかつ使える武将が閻圃ぐらいしかいなかったので、今滅ぼすメリットも薄いと考えたからだ。 元々、成都を陥落させた後は司馬懿軍と曹丕軍の潰しあいを狙って放棄するつもりでいたし。 ただでさえ戦線が間延びしている今は、まず周辺勢力の攻撃を防ぎつつ、稼いだ技巧で勢力強化に励む方が得策だろう。 張華「羊祜様、今度は襄陽の満寵殿から早馬が。どうやら荊南を制した劉備軍が大軍で江陵の曹操軍を滅ぼそうと迫っているそうです」 王濬「今曹操軍が滅ぼされれば、名立たる魏将が劉備軍に渡り、我らにとって最大の脅威となりうるでしょうな…」 羊祜「うむ…この事態に我が軍はどう出るべきか…」 やはり曹操軍は劉備軍を防ぐ"蓋役"になってほしいところ。そうなると襄陽から救援に向かいたいが、今さら主力を襄陽に回すのも気が引ける。 曹操軍をあえて救援するか否か、迷うところだ。 第五章 羊祜軍、雌伏 江陵の曹操軍を救援するか否か…迷った結果、救援は諦め、劉備軍に滅ぼされた後に流れた人材確保を狙うことに。 とりあえず曹操軍が滅びるまでの間に、間道を通って永安に攻めよせてきた司馬懿軍を迎撃しておく。 260年5月、劉備軍の猛攻により、曹操軍は江陵の地に滅んだ。さっそく羊祜領に流れ着いていた旧曹操軍の人材を登用してゆく。 羊祜「おお、あの精鋭、虎豹騎隊を率いるあなたが来て下さるとは。どうか周旨を支えてやってくれ」 曹純「はは、我らこれより羊祜様に忠誠を誓いまする」 曹仁「…しかし…案の定孟徳殿はいないようだな。逃げ延びる際、我らには羊祜様を頼れと伝えておきながら…」 曹昂「父上なりに気を使ったのでしょう。羊祜軍傘下に入らば、皆同じ身分になりますから」 曹洪「どうせ命あるだけで有難い身。敵に回った孟徳殿と渡り合ってみるのも、武将としては悪くないか」 こうして曹髦も含む曹一族の5人と鮑信を登用。特に現状唯一の騎馬適性Sである曹純が心強い。特技を『明鏡』にして、周旨の副将に用いよう。 さらに… 陸抗「永安の兵糧がやや心許ないですな…買うにしてもあいにく相場が悪い」 曹髦「長期的な兵糧の工面をお望みなら、私がある在野の士と話を付けてきましょう」 実は曹操軍が滅んで2ヶ月後に成都の張魯軍も曹丕軍により滅亡。そして『米道』持ちの閻圃が江州に流れてきていた。 曹髦の高い魅力を活かしてこれを登用。これで兵糧の問題は大きく改善されるだろう。 ついでに旧張魯軍からは楊懐も加入。楊懐・高沛コンビはなんとなく好きだ。ギリギリ忠誠の自然低下もしないのが嬉しい。 その後は、永安と襄陽北に攻めよせてくる司馬懿軍、江州に攻めよせてくる曹丕軍の相手をしながら、国力を蓄える。 溜まった技巧ポイントは「精鋭弩兵」に費やし、能力研究は『明鏡』まで達した。人材面では、滅んだ劉琮軍から王威・劉劭を登用。 261年9月。ついに劉備軍が江陵に45000の兵を結集し、25000の4部隊で襄陽に攻め上がってきた。 襄陽を守るは曹仁・満寵・楽進・牛金・鮑信ら。 曹仁「巴蜀からの援軍が到着するまで1ヶ月…現在中廬港付近に司馬懿軍も上陸している。状況はやや厳しいか」 満寵「曹仁殿、幸い兵と兵装は十分あります。ここは長坂付近まで打って出ましょう」 鮑信「部隊は軽装の弩部隊だけで十分。到着後は我らにお任せを」 まず満寵と鮑信の補佐コンビを長坂まで急行させる。それ以外の将も皆弩兵を率いて追従させ、とにかく陣越しに火矢を射ちまくる。 劉備軍の部隊は相変わらずの強力な面々。張遼・孫尚香らに加え、于禁・許褚など旧曹操軍のメンバーの姿も見える。 だが、陣のZOCで手間取っているところに、火矢+補佐援護の嵐で1部隊ずつ迎撃してゆく。牛金の連戦も役立つ。 途中、『弓将』孫尚香の乱射に複数部隊が巻き込まれる被害が出たが、反撃はその一手に抑え、結局落石を用いるまでもなく撃破できた。 杜預「援軍で参ったが、我らの仕事は北の司馬懿軍を追い出すだけで済んだようだな」 陸抗「しかしこれからも劉備軍は定期的に攻めてくるでしょう。曹仁殿、油断なさらぬよう頼みます」 曹仁「はっ。我らが火矢戦術で粘っているうちに、巴蜀の平定にお向かい下され」 どうやら襄陽は今のメンツでも十分防衛できそうなので、その他の主力メンバーで成都の攻略を再開する。 ここは曹丕軍勢力下にあったが、城兵が2000以下のまま停滞していたので、262年7月に楽々占拠。 その後南中から絶え間なく攻めてくる曹丕軍を乱麻しながら、内政に励む。 成都は兵糧の基礎収入が多いので、農場を多めに建てて閻圃を呼び寄せ、穀倉都市として活用する。 年月を重ね、時は264年4月。永安や成都の防衛戦は安定した戦いで勝利を重ね、次なる目標に向かう準備は整った。 羊祜「次なる目標は、やはり南中の曹丕軍だろう。後顧の憂いを除けば、一挙に展望が拓けてくる」 杜預「ハ。ですが、まずはその足掛かりとして司馬懿軍の梓潼を落としましょう」 陸抗「かの地は小都市なれど、益州支配の要所。防衛も容易ですし、間道を用いた永安への来襲も封じることができます」 胡奮「まずは『後顧の憂いの後顧の憂い』を潰すってことですな」 司馬孚「成都南の守りはお任せを。新たに導入した石壁と砦で侵攻を防いでみせまする」 梓潼攻略隊の内訳は以下の通り。 羊祜&牛金の槍兵S隊11000 陸抗&曹髦の戟兵A隊8000 杜預&張華&唐彬の弩兵S隊8000 王濬の戟兵A隊8000 王渾の槍兵A隊8000 胡奮&胡烈の井蘭S隊7000 周旨&曹純&張球の騎兵S隊7000 曹洪&曹昂の槍兵S隊6000 あらかじめ攻略しておいた2つの関を抜け、梓潼領へと侵入する。迎撃に出てきたのは司馬懿本隊12000を含む4部隊。 しかしどうやら梓潼には兵装の供給が間に合っていないらしく、実質的な敵は司馬懿と司馬師の20000だ。 敵部隊は一列になって出てきたので、火球を駆使して被害を抑えながら戦ってゆく。 一方、司馬懿軍も負けじと森林付近に固まる羊祜軍に火球を何度も打ちこんできた。兵装が無くとも金は有り余っているらしい。 このゲームのAIはバカだとよく言われるが、火球の使い方に関してはやけに嫌なところを衝いてくる。密集しているところを狙われ、被害が拡大してゆく。 この乱戦の中で活躍したのは杜預率いる精鋭弩兵隊。弓櫓付近に密集した敵を弓櫓ごと乱射しまくり、火と防衛施設のZOCに苦しむ羊祜軍の中で大きな成果を挙げてくれた。 半年に渡る激戦を重ね、最後に残った司馬懿本隊を撃破するころには、総兵数は出陣時の約半分まで減っていた。264年9月、陸抗の攻撃で梓潼を制圧。 羊祜「被害は大きかったが、得たものも大きい。皆、よくやってくれた」 周旨「体勢を立て直したら次は南中遠征だ。まだ気は抜けられないですぜ」 張華「まずは早急な復興が先でしょう。北の開発地は山岳越しに攻撃されるので、闇市場を拓くのがよいかと」 この戦いのさなか、唐彬の弩兵適性がSにアップ。 司馬懿軍の捕虜からは、楊懐の相棒高沛と、漢寧の勇将楊任を登用。この3人には梓潼の防衛に回ってもらう。 梓潼陥落後に陰平伝いに攻めてくるようになった司馬懿軍を逐次撃退しているうちに年月は進み、いつの間にか267年になってしまった。 しかしこの間に、能力研究は各方面がほぼ研究済みとなり、新たな隠し特技として『鬼謀』『神将』『闘神』が出現した。 先に出現済みの『踏破』『指導』と合わせ、今回の隠し特技はなかなか当たりだったようだ。 ただ、『神将』と『闘神』は正直イメージに合った武将がいないので、今のところ持て余している。 王濬・王渾・周旨らが候補だが、強くなりすぎても彼らのイメージにそぐわない…とも思う。付けるにしてもせめて五虎将軍となった時に付けてあげたい。 また、それ以外にも王濬と満寵の弩兵適性がSとなり、技巧では「○○鍛錬」全て、「軍制改革」「投石開発」を得た。 杜預「軍制改革の効果があれば、建寧攻めの長い行軍にも堪えられるでしょう」 羊祜「うむ。梓潼の防衛も容易になるしな」 王渾「では、いよいよ南中遠征ですか。さっそく諸将に招集をかけましょう」 ここまでにおいて、関平軍・孫権軍が滅び、中華には5~6都市所有の国々が拮抗して存在する情勢となってきた。 早めに南中を制圧して、頭一つ抜けたいところだ。 第六章 無念の撤退 267年2月、成都から建寧攻略隊を進発させる。内訳は以下の通り。 陸抗の弩兵S隊11000 杜預&牛金の弩兵S隊11000 王濬の戟兵A隊11000 王渾&曹洪&張華の槍兵S隊11000 胡奮&胡烈の井蘭S隊10000 周旨&曹純&張球の騎兵S隊10000 兵糧は各部隊最低でも300日分、たっぷり持たせる。 まずは成都のすぐ南の渡に攻め寄せている曹丕軍の龐徳隊と董荼那隊を処理する。 主力部隊は気力をできる限り温存したいので、司馬孚・唐彬・鮑信の3名に潰れ役を任せて撃退してもらう。 進路を塞ぐこの2部隊を撃破した後は、一気に南下。本道上には曹丕軍がコツコツ建設した防衛施設が10個以上置かれていたが、胡奮の投石で全て破壊してゆく。 行軍開始から4ヶ月。攻略隊は建寧のすぐ北の渡まで到達し、そこで曹丕本隊を含む27000の曹丕軍と決戦となった。 まずはここまで気力を温存していた杜預隊と陸抗隊で、渡の向こう側に布陣する敵部隊に乱射しまくる。 たまらず渡を渡って直接攻撃を仕掛けてきたところに火球をぶつけ、炎上する敵部隊に周旨隊で突撃をかける。兵数の多い曹丕本隊に手こずったものの、これを全て撃破。 渡を突破した後は、王濬&王渾のコンビを先鋒にして進む。執拗に抵抗する龐徳を王渾の螺旋突で混乱させ、王濬の熊手で刈り取る。 龐徳撃破後は本道脇の開発地を破壊し、そのままの勢いで攻城にかかる。267年9月、周旨が止めを刺し、建寧を制圧した。 胡奮「ようやく辿り着きましたが、全くこの地は遠いは暑いわ険しいわで一苦労ですなあ」 杜預「気を抜くのはまだ早い。兵達に休息を取らせた後、速やかに南下を再開するぞ」 268年1月、兵の気力を回復させ、建寧の内政もそこそこに雲南に向かう。メンバーは前と同じだ。 対する曹丕軍は迎撃隊を本道側と盤蛇谷側に半々に展開してきた。普通に本道を進むと挟み撃ちに遭うので、本道沿いの遺跡・廟候補地付近に砦を建てて待ち構える。 敵は6部隊、総勢40000以上の大軍だ。ただ、龐徳や曹休といった厄介な武将は建寧に捕囚してあるため、武将の質は高くない。落ち着いて対応してゆく。 半数の敵部隊を撃破したころ、南蛮の重鎮兀突骨が立ちはだかった。ご丁寧に副将には『火神』を付加された孫綝が就いている。 仕様上、『火神』持ちが副将にいても『藤甲』には火のダメージが2倍で通るので、弩兵隊の杜預・陸抗で火矢中心に集中攻撃する。 敵迎撃部隊の第一陣を全滅させた後も、曹丕軍は徴兵を繰り返して、結局は総計10部隊、60000近い大軍と戦う羽目になった。 前述のように将の質はそれほど高くないのだが、連戦になるとさすがにキツい。気付くとほとんどの味方部隊の気力が尽きかけている。 とくに火矢を連発した杜預・陸抗隊と、毒泉を突っ切ってくる敵の騎兵部隊に突撃を何回も受けた胡奮隊の消耗が激しい。 さらに厄介なことに、建寧から逃げ出した曹休や、堅い兀突骨が再出撃してきた。 王濬「兵達の気力が尽きかけておりまする。ここは一旦建寧へ退いて体勢を立て直すべきでは?」 陸抗「本来ならそうするのですが…このまま押し切りましょう。急がなければならない理由があるのです」 杜預「襄陽が陥落の危機にあるのだ。南は劉備軍、北は司馬懿軍、合わせて10万の猛攻を受けている」 王渾「なんと…!いやしかし、守将は曹仁殿で地の利もある、現に今まで幾度も彼奴等を撃退しているではありませんか」 陸抗「あの軍勢を阻むことは不可能です。将の質なら十分ですが…数が違い過ぎる。すでに曹仁殿には全軍での撤退を伝達しています」 杜預「無念だが、襄陽は捨てる他ない。しかしそれ以上はやれん。南中を一刻も早く制圧し、北の国境を抑えるのだ」 この時、襄陽は今までにない苛烈な攻撃を受けており、守るのは不可能に近かった。 北の司馬懿軍は「軍制改革」の効果により、複数の10000越え攻城兵器を繰り出しており、南の劉備軍は張遼・黄忠・趙雲・陳武・法正・孫尚香らが大挙して押し寄せていた。 片方だけならともかく、南北から攻められて、しかも名将レベルが曹仁・楽進・満寵しかいない襄陽の状態では抗いようが無い。 やむなく物資を持って西の山岳から脱出を試みる。南中制圧がもっとスムーズに行っていたら北の守りに主力部隊を回せたのだが… ちなみにこの間君主である羊祜は梓潼の守りに就いており、手が離せない状態だ。こちらも司馬懿本隊15000や曹操隊13000など強敵が攻めてきているからだ。 とりあえず、主力部隊は南中制圧を急ぐ。兀突骨には王渾&曹洪コンビで一騎討ちを仕掛ける。曹洪で気力を稼ぎ、この時点で武力89に達していた王渾で兀突骨を討ち取った。 曹丕軍はなおもしぶとく抵抗を続けたが、最後は兵力にモノを言わせたごり押しで突破し、268年8月、杜預の一斉攻撃で雲南を制圧!曹丕軍は滅亡した。 曹丕「フン、この暑苦しい蛮地を離れることができるなら、羊祜の下に付くのも悪くない。………まぁ、幾ばくか名残惜しさもあるがな」 夏侯尚「子桓様…」 陸抗「南蛮にこれだけの勢力を築いたあなたの器量、必ずや我らに必要となるでしょう。歓迎致します」 衛瓘「こういった形でおぬしと再会するとはな。私が憎いだろう、殺すがいい」 杜預「我が軍は私怨で人を斬らぬ。だが、我が軍にあなたの居場所は無い。どこへでも行くがいい」 衛瓘「…この私を斬らぬのか…おぬし、意外と甘いのだな。…恩に切る。さらばだ」 丘建「胡奮殿、それがしは兵器部隊の担当となった丘建と申します。胡烈殿は、お久しぶりですな」 胡烈「おお丘建。兄上、彼は良く気がつく男です。我ら兵器隊の参謀として防計をこなしてもらいましょう」 胡奮「それは心強い。これで敵中で混乱して杜預殿にどやされることもなくなるぞ」 こうして曹丕軍からは曹丕・曹休・夏侯尚・霍峻・張衛・丘建らを登用。陳羣、董允、龐徳は縛りの関係上解放し、衛瓘も史実の相性上解放した。 内政は文官に任せ、さっそく主力部隊を北の前線に移動させる。このころには襄陽は陥落し、奪いに来ていた司馬懿軍と劉備軍が激突していた。 曹仁「荊州の一大拠点を任されながら、わしの力不足のためにこの体たらく…どんな処罰でも受けまする」 満寵「羊祜様、曹仁殿は最後まで戦い抜こうとしました。罰するなら曹仁殿を制したそれがしも共に」 羊祜「2人とも気にすることは無い。武人としては悔しかったろうが、よく命令通り撤退してくれた。物資と予備兵も全て守り通してくれたそうだな。感謝するぞ」 曹仁「もったいなきお言葉…この雪辱、必ず晴らして見せまする」 羊祜「うむ、そなたらがいれば、再び峴山を仰ぐ日もそう遠くないだろう」 李通「それがし、梓潼にて羊祜様にお誘いいただいた李文達と申す。王渾殿、共に槍を極めましょう」 王渾「槍の名手として名高い李通殿ですな。あなたがいれば我が軍の槍兵隊はより精強になるでしょう」 襄陽は陥落してしまったが、貯まっていたたっぷりの物資と兵士は全て輸送することに成功した。途中劉備軍の騎兵に追いかけられてヒヤヒヤものだったが…。 また、いつの間にか『槍将』李通が梓潼に流れ着いていたのでこれを登用。どういった経緯で在野にいたのかは分からないが、この特技は非常に頼もしい。 ここまでの度重なる防衛戦と南中攻略戦で貯まった大量の技巧ポイントで、「港関拡張」「城壁強化」「神火計」を研究。 さらに左慈イベントの効果もあって、王濬の戟兵適性がS、周旨と張球の騎兵適性がS、費耀と張華と閻柔の弩兵適性がSとなった。 曹髦と司馬孚に廟・遺跡探索も行わせて、廟で周旨の特技を『疾走』に、遺跡で陸抗の戟兵適性をSにした。 …ただ、周旨は槍兵適性も育てるつもりだったので、特技は『猛者』にするべきだったかなあと少しだけ後悔。まあ『疾走』の方が字面はかっこいいのでいいか。 その後はごたごたしていた国内の整理を行い、270年になってようやく南中の復興や物資の輸送、各都市の人員配置などが完了した。 陸抗「これでとりあえず蜀の地に確固たる地盤を築くことができました。次なる目標はやはり…」 羊祜「益州の玄関口、漢中か」 杜預「ハ。相手は中華屈指の動員兵数と技巧を誇る司馬懿軍。並大抵の軍勢では切り崩せますまい」 羊祜「うむ。次なる戦、これまで以上に万全の準備をして臨むこととしよう」 <270年1月現在の勢力図> (官位順) 司馬懿軍(大将軍) 軍師:郭嘉 主武将:顔良、呂玲綺、張任、馬岱「霹靂」「雲梯」「精鋭弩兵」「精鋭槍兵」と技巧が鬼。しかし劉備軍の台頭で、一時期の勢いは削がれている。 諸葛誕軍(五官中郎将) 軍師:龐統 主武将:鄧艾、鄧忠、夏侯惇、文聘、田豊袁紹軍を滅ぼし河北を統一。諸葛亮軍の衰退に合わせ南進も開始。 諸葛亮軍(五官中郎将) 軍師:賈詡 主武将:馬超、徐晃、韓遂、夏侯淵 一時は司馬懿軍と中原を二分するも、技巧選択の差のためにずるずると衰退。 劉備軍(五官中郎将) 軍師:法正 主武将:趙雲、黄忠、甘寧、許褚孫権軍を滅ぼし旧孫権軍の臣をバリバリ吸収。劉禅軍との同盟を結び、狙いを司馬懿軍と羊祜軍に絞る。兵器関係の技巧が無いのが安心。 羊祜軍(羽林中郎将) 軍師:陸抗 主武将:王濬、周旨、曹仁、曹洪縁の地である襄陽を失うも、益州に地盤を得る。北は司馬懿軍、東は劉備軍の猛攻にさらされ、絶賛防衛中。 孫堅軍(州刺史) 軍師:陸遜 主武将:賀斉、李儒、諸葛恪、張済海路にこだわるために伸びず。建業は劉禅軍と奪い合いしている。 劉禅軍(州刺史) 軍師:張紘 主武将:典韋、華雄、郝昭、李恢、孫礼父上の軍と同盟を結び、しぶとく生き残る。孫堅軍と水上・陸上で抗争を続ける。 孫策軍(州刺史) 軍師:周瑜 主武将:周泰、蒋欽、呂範、魏延、徐盛司馬懿軍と安定を奪い合うも、安定せず。地力はあるため、司馬懿軍相手でも滅亡の気配は無い。 <羊祜軍の成長> 技巧研究:「○兵鍛錬」「精鋭弩兵」「軍制改革」「投石開発」「城壁強化」の研究が完了 能力研究:『捕縛』以外の全てが完了。判明した隠し特技は『指導』『踏破』『鬼謀』『神将』『闘神』。 <羊祜軍の武将の成長> 主力武将の成長。赤字で書かれている数字はデフォルト値からの増加分または変更点 主力武将 統率 武力 知力 政治 魅力 槍 戟 弩 騎 兵 水 備考 羊祜(精妙) 91(1) 73(9) 85(1) 89(2) 95(6) S A S A A A 適性はどうせ封禅で全てSになるだろう。武力がもう少し欲しい 陸抗(精妙) 92(1) 77(14) 95(8) 87(2) 93(6) A S S C S S 単独でも出せる戦力。戟兵適性Sが欲しい 杜預(昂揚) 92(7) 54(24) 91(6) 87(7) 87(6) A B S C S S やはり武力はネック。特技も変えたい 王濬(金剛) 89(8) 89(16) 78(1) 77(6) 75 A S S C S S 非常に使いやすい将に育った 王渾(水将) 83(7) 91(15) 73(1) 85(11) 69 A B A B A S 未だ陸上兵科適性Sが無い 胡奮(攻城) 83(12) 88(12) 60(10) 53(1) 55 C B A A S B 安定して成長。兵器隊は統率武力がメキメキ育つ 周旨(疾走) 88(23) 95(10) 56(15) 50(21) 63(20) B C C S S A 戦闘のプロ。大エース その他の武将の成長 唐彬:特技をなし→築城に。また、弩兵適性がSに。羊祜軍遊撃部隊筆頭 閻柔:特技を親烏→築城に。また、弩兵適性がSに。防衛戦の際の縁の下の力持ち 張華:特技をなし→指導に。また、弩兵適性がSに 楊済&楊肇&王戎:特技をなし→運搬に 胡烈:特技をなし→射程に。また、兵器適性がSに 曹仁:特技を鉄壁→金剛に。防衛戦のエース。あまり登場しないが功績は甚大 楊懐&高沛&楊任:特技をなし→掃討に。お気に入りの弩兵遊撃部隊 満寵:弩兵適性がSに。曹仁とともに防衛戦で活躍 曹昂:特技を血路→射程に。周旨や楽進が兵器隊を率いる際に副将として用いる予定 鮑信:弩兵適性がSに。羊祜軍遊撃部隊第二席 費耀:特技をなし→築城に。弩兵適性がSに。羊祜軍遊撃部隊第三席 夏侯尚:特技をなし→補佐に。地味に使いやすい 丘建:特技をなし→明鏡に。胡奮兄弟の副将で用いる予定 司馬孚&劉巴:特技をなし→能吏に <羊祜軍の武将ベスト5> 順位 統率 武力 知力 政治 魅力 1位 陸抗、杜預(92) 周旨(95) 陸抗(95) 羊祜(89) 羊祜(95) 2位 羊祜(91) 王渾(91) 杜預(91) 張華(88) 陸抗(8793) 3位 曹仁(90) 楽進(90) 羊祜(85) 陸抗、杜預、曹丕(87) 杜預、司馬孚(87) 4位 王濬(89) 王濬、曹仁(89) 満寵、閻圃、曹丕(84) 王渾、満寵(85) 曹丕(83) 5位 周旨(88) 胡奮(88) 鮑信、司馬孚(82) 田疇(84) 満寵、曹髦(81) <羊祜軍が登用可能な武将の最大能力値> 統率 武力 知力 政治 魅力 91 94 94 88 94 曹丕軍を倒したことでかなり武将が充実。とくに『射手』2人の加入が嬉しい。 超級は本当に時間がかかります。10年以内クリアとか今の自分には絶対無理だろうなあ。 その8へ続く
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基本設定PSPK 上級/討死無し/妖術、落雷無し/能力変動無し/いにしえ、追加武将有り 縛りルール 登用できるのは漢室が普通、重視の将のみ。/処断できるのは基本漢室無視の将のみ。 使用兵装は騎兵のみ。 プレイ年数205年5月1日からの新縛りルール 漢室普通、重視の敵将の扱い 捕まえるごとの捕虜期間は90日間としてそれ以上になる場合は解放。 漢室普通の敵将の扱い 統率、武力、知力の何れかが85以上ある武将は 最初の1回目の登用に応じなかった場合は次に捕虜に出来るまでは登用不可 所属勢力が滅びた場合は何時でも何度でも登用可能。 敵将の扱いに制限を入れることによって最後まで激闘になるかな と思い新縛りルールを追加しました。では、プレイ日記再開します 第6章逆転 205年4月 長安、上庸より漢中に曹操軍が進攻する 非常に不味い江陵、柴桑攻略にほぼ戦闘系将は使ってしまって文官タイプしか移動させられるのがいない。 取り合えず時間稼ぎになるように文官と登用したばかりの馬忠を漢中に移動させる 黄祖が武陵の近くで廟を発見。劉曄に連環を付ける。 計略系で個人的には連環が一番のお薦めです。 2部隊同時に計略を仕掛けられるので実質計略の気力消費が半分だと考えて良いのではないでしょうか? 4月21日柴桑攻略 長沙の兵糧があまりなく180日分ずつしか兵糧を持たせず出撃させたせいで 馬騰、馬超等の数部隊が次のターンには兵糧が0になると言う状況でした。間に合ってよかった。 また、江陵を見ると敵将の人数が47に夏侯惇等も移動してきたようです。 柴桑攻略部隊は都市に入城すぐに漢中に移動させる、漢中へ移動していた文官たちを柴桑に移動させる。 7月孫堅軍と2年の停戦を結ぶのに成功。周瑜不在だったので楽勝でした。 また、柴桑攻略時に捕らえていた許靖等を登用した。 8月11日江陵攻略 周泰、張遼の部隊が撃破されるなど流石は曹操軍。 迎撃部隊が呂布、夏侯淵、夏侯淵、岳飛と超一流ばかり。 また、どの部隊も明鏡か洞察がいて計略の防御も完璧でした。今後の苦労が窺えます。 張魯、張衞、張衞、張燕、張南、郭氏、韓セン、曹休、藏覇、陳矯を処断。 この頃、漢中防衛戦は砦、土塁を挟み敵部隊へ間接攻撃。敵部隊の先陣は戟兵なので矢盾発動 が面倒です。まあ、弩兵と戦い兵を減らされるよりましなのかもしれませんが。 まだ、戟兵の後ろには甘寧丼蘭、趙雲衝車が続き(勿体ないなぁ)白起槍兵、顔良騎兵、蒙恬井闌が進攻中まだまだ、終わりが見えません。 11月1日江陵に城陽から曹彰騎兵、呂布戟兵が進攻してくる。まだ、内政途中だというのに‥‥ 11月11日江陵攻略から90日登用できなかった 夏侯淵、夏侯惇、王翦、田豊、紀霊、関平ら数十名は解放。 潘璋、賈華、蒋欽、徐バク、崔州平を得る。 漢中防衛戦で趙雲、ホウガ、歩シツを捕らえる。90日以内に登用できるまで忠誠が下がってくれると良いが‥‥ 11月21日呂尚、白起を捕らえたので処断。柴桑へ廬江から大軍が出撃。徐晃、典韋等がいる。 造幣を開発中だった藺相如を撤去で急いで呼び戻し停戦に行かせる。 206年 曹操軍 江陵が落ちても今だ都市数21武将数192と断トツ呂尚が死んでもまだ、張良がいる(論客で登場先程負けました。) 馬騰軍 江陵、柴桑を得て都市数16武将数は3桁に乗り武将数107何とか分散すれば3ヶ所の攻防戦が可能でしょうが まあ、名将揃う曹操軍を相手にはできない作戦ですね。 1月 曹操軍と4ヶ月の停戦を結ぶ。柴桑の港前に人壁を並べて何とか凌ぐことができました。 趙雲獲得。馬超、張遼らのようにエースとして活躍してもらいましょう。早速馬雲リョクと結婚してもらいました。 2月 孫堅軍と停戦24ヶ月延長藺相如対戦相手にでた孫権を一撃粉砕。 馬騰「お主孫権を相手にしてストレス解消しなかったか?」 藺相如「さて、なんのことか私には解りかねます。」 馬騰「‥‥‥‥‥」 ホウガ、歩シツ解放。全く忠誠度が下がりませんでした。残念です。 3月 在野の李異、吾粲登用。 城壁強化の研究修了。 4月君主孫堅死亡孫策が後継。 また、1人漢室重視が亡くなってしまった。 馬岱が武官推挙で冷苞を連れてきてくれたので早速冷苞には後方の人材が1人しかいないところに送る。 5月 襄陽から敵部隊が江陵へ進攻する。廬江から柴桑へ上庸から漢中へ新野から北東港経由で江陵へと多方面から曹操軍がやって来る やられっぱなしも芸が無いのでこちらからも仕掛けられるように武将を移動させる。 柴桑へは賈ク、劉曄、李カイ、貂蝉、荀攸ら計略部隊を送る。 漢中へは馬騰、馬鉄、馬休を。江陵へは張遼、呉懿、ホウ徳らを防衛部隊とし。 江州へ馬超、趙雲、馬雲リョク、馬岱を派遣する。 ちなみに5月11日現在の曹操軍の進撃部隊数 襄陽2部隊、新野10部隊、上庸9部隊、廬江4部隊が進軍中まだまだ、増えると思われる。 馬雲リョク「本当に大丈夫なのでしょうか?」 馬岱「我らが襄陽を陥落させるまでもってくれれば良いのですが‥‥」 馬超「ふん、襄陽など我が一撃をもって粉砕せん!」 趙雲「では、参りましょうか!」 5月21日江州から襄陽攻略作戦開始 馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)15000 馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)14000 馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)11000 趙雲(洞察)+馬忠(踏破)11000 計51000で桟道から襄陽急襲を目論む 9月11日江陵防衛戦で捕らえた鮑叔牙を登用。知力が83と縛りルールセーフなので 忠誠が下がったところでいただきました。 どの防衛戦も辛いですが呂布の弩兵がいる江陵防衛戦となかなか計略部隊の連環が うまくいかない柴桑防衛戦はかなり辛いです。呂布の弩兵応射がかなりのダメージです。 11月11日には新たに伊籍、全宗、関靖を登用。徐晃、典韋解放。また、会う日まで(出来れば戦いたくないが‥‥) 襄陽攻略成功。范増、韓玄、楊泊処断。だれも登用に応じなかったので牢屋へ90日ねな間に何人獲れるか そして即座に藺相如に曹操軍との半年の停戦にいってもらう。しかし、曹操と会うまで60日って‥‥逃げたか? 12月21日曹操が移動したようで停戦交渉が早くも実現。対戦相手は曹操本人。張良でなくてよかった。 半年の停戦に成功。一番楽だと思われていた漢中も衝車、井闌に土塁、城塞を破壊され かなりの危険な状態だったので1発の停戦成功ありがたい。 馬良を在野で発見。まだ、未発見ぶしょうでいたことに感謝しつつ登用。 207年未だ未だ終わりが見えない。 曹操軍 前年の攻防戦で武将が少し減り184人に総兵力が110万から97万に減少‥‥‥だから?って言うレベルか‥‥ 許昌を落とす前に馬騰が死ななければ良いが‥‥‥ 馬騰軍 都市数17武将数116人に曹操軍から後1つ都市を奪えば都市数が並ぶが 趙雲を得たことで戦術の幅が広がった。 1月 捕虜の岳飛登用。寿命的には後7年位だが間違いなくうちのエースの1人として活躍してくれるだろう。 早速岳飛、陳慶之、鄭成功の三人には義兄弟になってもらった。32歳トリオの結成 しかし、同年義兄弟は誰が長兄に設定されるのかな? 2月在野の蒋エン、捕虜の呂威壙、王朗、張春華を獲得。 明鏡の蒋エンには是非馬超の副将を他三名はモブキャラとして大いに活躍してもらおう。 3月襄陽で捕虜にした文ペイ、満寵、楽進らを解放。 4月天水、零陵でイナゴ発生がっかり来たところに在野の徐庶が仕官しに着てくれる。塞翁が馬 7月停戦切れ曹操軍との戦いがまた始まる。 7月21日時点で上庸、甘寧槍兵、蒙恬騎兵等の七部隊、長安、張コウ戟兵、文シュウ騎兵ら八部隊が漢中へ 新野、張良、黄忠らの4部隊が襄陽へ2部隊が江陵へと。廬江から夏侯惇、王翦らの八部隊が柴桑へと進攻してくる。 柴桑は前回同様計略部隊に任せ江陵へは烏林港(孫策領)からの上陸だと思うので馬休、馬鉄で充分だろう 襄陽は中廬港を挟んでの戦いとなりそうなので3兄弟の岳飛、鄭成功、陳慶之+呉懿を派遣する。 漢中は馬騰、ホウ徳、張遼を起きあわよくば反撃して上庸を奪いたいところだ。 そして馬超、趙雲らを天水へ移動させる。 10月1日 廟3ヶ所目百出、神算で悩んだ結果神算を黄権に付ける。 240年死亡と長命な黄権ゲームクリアーまで活躍してくれるだろう。 3都市の防衛戦が続くなか天水より長安攻略作戦開始 馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)15000 馬岱(補佐)+霍峻(不屈)+蒋エン(明鏡)15000 馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)12000 趙雲(洞察)+崔州平(指導)+馬忠(踏破)1000 黄権(神算)+徐庶(深謀)+王累(運搬)10000 計62000 お気付きかもしれませんが神算、深謀が同一部隊になってます。 まだこの時点では黄権の知力が83しかないので経験を稼がせる意味で同一部隊にしたのですが出撃させてすぐに失敗したと気づきました。 208年赤壁の年 各地の攻防戦は続く。 漢中防衛戦昨年10月に疫病が発生 昨年からの戦いで敵部隊を土塁、城塞越しに敵部隊を騎射で撃破先頭の部隊が衝車3部隊となった時点で土塁、城塞の前へと討って出るがそれが失敗に顔良の井闌の火矢攻撃、衝車曹否に撹乱で馬騰が混乱させられる。 それを何とかしようとホウ徳を突出させてしまい曹操部隊に包囲され袋叩きにあい撃破されてしまう。 王異を捕らえられてしまい今は、馬騰部隊も危機的状況。 柴桑防衛戦 賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)部隊と劉曄(連環)+李カイ(機略)部隊で撹乱、偽報で防衛させるが敵部隊が多く厳しい 周泰、朱桓の部隊で水上戦を仕掛けるが夏侯惇、文ペイ、ホウガ、李典らの部隊に逆撃を受ける。文ペイ部隊は撃破出来たが 周泰、朱桓部隊の兵力もかなり減らされ撤退。 襄陽防衛戦昨年10月にこの都市も疫病発生。 鄭成功、岳飛、陳慶之で中廬港を挟んで新野からの曹操軍と戦う。 張良の部隊の神算で鄭成功が混乱させられ何も出来ないまま集中攻撃にあい撃破されてしまう。 敵部隊には関羽もおりかなり厳しい戦いとなった関羽は何とかようやく撃破し、張良の気力も尽き 鄭成功の2度目の出撃ができる兵力も整い反撃に討って出ようとしているところで208年を迎える。 江陵防衛戦 烏林港(孫策領)を挟んで馬鉄(補佐)、馬休(長駆)、鮑叔牙(補佐)、趙累(補佐)の騎兵隊の騎射で敵部隊を撃破していく。 こちらは烏林港周辺の森のお陰でたまに馬鉄の部隊が混乱させられる以外は被害無し、また、補佐がよく発動してくれてかなりの楽勝モード遠距離攻撃なので敵将が捕らえられないのが残念。 長安攻略戦 敵部隊の出撃は少なめで黄権の部隊で撹乱をかけ、馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクで多少の敵迎撃部隊を撃破していく。 長安包囲が完成した頃漢中へ進軍中だった長安からの部隊が戻ってきた処で昨年終了。 各戦線で捕らえた敵武将。 筰融処断。簡雍、程秉らを捕虜に残りの捕虜期間30日に登用できれば良いが‥。また、逢紀、文ペイ、李厳も捕らえたが縛りルールの能力のため残念だが解放せねば 208年1月襄陽在野のホウ統、黄月英を得る。 反董卓連合では諸葛亮は下ヒなんですよね、残念。 3月 在野の張翼を得る。中堅武将として防衛戦、攻略戦の補助として活躍してもらおう。 長安を攻略する。賈キ、郭奕処断。 4月には何時ものように曹操軍と停戦一息いれる 今回は江陵以外はかなりボロボロなので長めに一年停戦。 6月結局長安の捕虜で獲得できたのは張飛の奥様夏侯氏1人という寂しい結果に 7月梓潼、長安でイナゴ発生‥‥勘弁して次の月には陳登死亡とどうにも辛い月が続く。 こんなときはと孫策軍に停戦の名を借りた八つ当たりを実施 しかし、落雷を落とすまでには至らなかった残念。‥‥とまあ、こんなおバカなことをやっている間にも長安開発は進み 人材を次の戦いに備え適所に分けるとホウ統県令イベントが、適所に分けたのに勝手なことをまったく 10月カク昭が武官推挙で丁奉を連れてくる久しぶりの優秀な人材彼には柴桑防衛戦で戦ってもらおう。 武官推挙はこれまでも何回かあったのだがシャマカ、張横と漢室無視だったので登用できなかったのです。 209年1月張遼の子張虎、王朗の子王粛成人 張虎には張遼とともに一軍を率いてもらい親子の支援攻撃を期待したい。 在野の張嶷を得る。早速馬忠、張翼、張嶷で義兄弟になってもらう。しかし、3人とも仲良く騎馬適正Cというのは蜀軍の仕様ですかね?とりあえず張嶷は先ず騎馬適正を修業で上げておこう。 2月11日永安から新野攻略作戦開始 馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)16000 馬岱(補佐)+馬忠(踏破)15000 馬雲リョク(騎将)+鄒氏(楽奏)+黄月英(工神)13000 趙雲(洞察)12000 荀攸(百出)+黄権(神算)+ホウ統(連環)12000 徐庶(深謀)8000 2ターン遅れて 張翼(補佐)9000 計85000で出撃する。新野は森が多いので騎兵には戦いづらい徐庶隊、荀攸隊の計略部隊に頑張ってもらおう。 3月曹操軍が動きだす。 上庸から漢中へ。新野から襄陽、江陵へ。宛、落陽から長安へ。廬江から柴桑へ。進軍を開始する 廬江からは部隊数が少なく武将が逢紀、審配、簡雍、傅士仁と舐められているので こちらからも賈ク、丁奉、朱桓、周泰、楽毅らで港より前へと迎撃に 出撃させる。 廬江を獲れればいいが 4月廬江から新たな部隊が出撃してくる。文シュウ、魏延、李カク、徐盛、曹真‥‥ 泣く泣く柴桑からの攻略作戦を中止する。無念 5月存在を忘れていた在野の楊儀を得る。しかし、存在を忘れていたため馬謖獲得に失敗。 今回は各戦線で奮闘していて、今現在で五人の将を捕らえる。何人かは獲得できれば良いが‥ 呉巨処断。捕虜の傅士仁、ウッ遅恭獲得。何故傅士仁のような雑魚をとお思いだろうがなんと傅士仁名声付きなのだ。 ウッ遅恭は秦瓊と義兄弟になってもらい活躍してもらおう。 8月1日新野攻略成功 また、漢中防衛戦では敵部隊を撃退その勢いで上庸に進軍するが迎撃に出た顔良にかなり痛い目にあわされる しかし、このままでは終われないので襄陽より馬鉄、馬休、鮑叔牙、趙累を また、漢中へ移動させた先ほど獲得したウッ遅恭を出撃させる。 10月11日上庸攻略成功 ホウ徳の部隊が撃破されてしまったが上庸を攻略。これで襄陽を生産都市に出来る 11月11日曹操軍と9ヶ月の停戦。 長安、柴桑防衛戦に一息いれる。長安は東が大都市落陽だけに少しずつ押し込まれていたので。 武将を再編成し直す、上庸、新野の内政、襄陽の宛、許昌攻略への軍備増強のための停戦である。 出来れば次の都市攻略で廬江も獲りたいが‥‥‥ 第7章献帝擁立 210年 曹操軍 都市数17武将数159人兵数676719 馬騰軍 都市数20武将数137人兵数612467 曹操軍は呉を攻略した模様。柴桑、長安、漢中、江陵、襄陽の他に呉まで攻めていたとは‥‥ まあ、全ての戦場維持は無理だったようで結果上庸、新野を馬騰軍に奪われた訳だが‥‥‥。 都市数を逆転した馬騰軍武将も曹操軍からウッ遅恭の他に秦良玉、簡雍、王昶、高幹、李カク、傅トウを獲得した。 残念ながら縛りルールで徐盛、諸葛謹、張昭等を得ることが出来なかったが戦力差を少しずつ縮めることが大切。 ただ曹操軍は昨年諸葛亮を登用できているんですよね。張良、諸葛亮と神算武将が曹操軍に二人いる早く捕らえたいものです。 武官にも曹操軍には昨年は戦わずに済んだが関羽、張飛、夏侯惇、夏侯淵、徐晃がいる。攻めかたを間違えると逆襲されて大変な目に遭わされかねない。まだ、まだ厳しい戦いは続くと思われる。 1月 長安に在野で郭攸之がやって来たので登用。曹操軍に登用されてても仕方ないと思っていただけに喜ばしい。 また、在野の張南、陳式を得る。 魏延のプレイ日記面白かったなぁ。また、何処かでお目にかかりたいものです。 7月江州、成都で疫病発生。面倒だなっと思っていると左慈登場。ラッキー♪ 文官推挙発生崔州平が張温を連れてくる。‥‥あれ?もしやこの日記初の文官推挙なのでは? 陳慶之と秦良玉を結婚させる同い年カップル仲良く次の戦いに活躍してもらいましょう。 8月11日停戦終了 曹操軍が早くも動きだす。許昌から新野奪還へ呂玲綺騎兵、関羽槍兵、文ペイ木獣が出撃してくる。 かなりの強敵である。ただしどの部隊も副将はついていないのでホウ統、徐庶、黄権、荀攸を新野に移動させる。 彼らなら森では騎兵は役に立たないし巧く戦えば時間稼ぎになるだろう。 蘭相如孫策軍に停戦の使者に出立相手は黄蓋きっちり勝たせていただきました。 次のターンには陸遜戟兵、黄忠投石が許昌より出撃、しかし、他は動きなし不気味だ早く動けよ。 しかし、願いむなしく次のターンも動きなし。 仕方ないとこちらからも動くことにした江陵から廬江へ出撃 岳飛(洞察)13000 鄭成功(水神)12000 秦良玉(強行)12000 陳慶之(白馬)11000 張嶷(踏破)8000 馬忠(踏破)8000 張翼(補佐)+張南()8000 計72000 また、新野へ援軍として馬超たちを送る。 9月11日になって落陽から長安へ曹操軍が出撃しか、ら廬江からは動きなし柴桑の武将も最小限残し襄陽へ移動させる。 10月許昌からの新野への攻略部隊が宛ルートを使い新野領内へとやって来る馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクらで迎撃 また、長安にも続々落陽からの曹操軍が領内へ侵入設置していた業火種でダメージを与えてから張遼らに迎撃させる 馬超騎兵隊は副将楊大眼が疾走もちなので次々曹操軍の部隊を混乱させられるだろう。 先ず早々に太史慈木獣を叩く副将に張良が居るので危険この上なし。疾走が決まり混乱させる 次のターンには潘ショウを副将に付けた部隊で全滅させ太史慈、張良を捕縛。1月11日までに張良獲得できるといいが 211年馬騰死亡年シナリオ初期年から21年経過 曹操軍 江東の会稽を落とし都市数を18に武将数154人に兵数は728217 馬騰軍 まだ、廬江落とせず都市数変わらず20のまま武将数は捕虜で呂範を獲得。しかし、二人死亡し 138人とプラス1名に留まる兵数は遂に曹操軍を逆転して770916 昨年からの戦いは新野が激戦関羽、陸遜。司馬懿を副将にした魏延、管仲を副将にした文シュウらが東のルートから新野領内へと侵入 消耗戦となり未だに戦いは目処がたたない。 長安防衛戦 騎兵の公孫サン、曹彰。投石の諸葛亮らが長安へ来襲。都市耐久8000が2200兵数が120000が83000にまで減らされながら何とか撃退に成功また、この防衛戦で先ほども書いたが呂範を得る。今落陽には17000陳留には18000しか兵が居ないため長安はしばらく安泰だろう。 廬江攻略戦 今は、都市を包囲途中1、2月には落とせるだろう 新野がちゃんと防衛出来るか‥‥‥? 211年1月11日ギリギリで張良獲得成功早速賈クから張良に軍師変更賈クも今の時点で知力100だがやはり漢室重視の人が軍師であってほしいですから。 2月新野防衛戦 新野の北ルートから劉封騎兵隊、徐晃槍兵、蒙恬投石が新野領内に侵入投石器を用意していたが一撃で蒙恬投石隊に粉砕される。 襄陽から60000を新野へ輸送開始遅いかも‥? 廬江攻略成功 連戦持ちの諸葛均が登用に応じてくれた。襄陽、柴桑の武将を廬江内政に送る。 新野では東ルート守備の趙雲隊が358まで減らされながら魏延隊を撃破魏延、関平、司馬懿を捕らえる。 魏延が何と登用1発OK助かる。 関羽を混乱させようと馬超隊が関羽に突撃すると一騎討ち発生。楊大眼、馬超の二人がかりで関羽を倒して捕らえる。 しかし、当然ながら登用には応じてくれないので5月11日まで牢屋行き 3月長安防衛戦で捕虜にした将を全員解放。にまた、新野で捕虜にした蘇由登用。張コウ解放 名称の解放はまた、敵として戦わなければならないと考えると頭がいたい。 3月11日黄忠を捕らえる。蜀将は漢室重視ばかりなのでじっくり登用できるから助かる。 翌3月21日には黄忠が早くも登用に応じてくれた。今回は弓神は役に立た無いのが残念。しかし、騎馬適正A なので 戦力として十分カウント出来る。 5月ギリギリで関平獲得。補佐もちで騎馬適正Aの優等生。 司馬懿、関羽、曹洪、呂玲綺を解放。一生牢屋に入れておきたかった‥‥。 5月11日漢中から宛攻略作戦開始 馬騰(連戦)+夏侯氏(明鏡)17000 馬休(長駆)+簫何(築城)+陳震(心攻)15000 馬鉄(補佐)+凌操(連戦)+韓信(強行)13000 鮑叔牙(補佐)+楊儀()10000 趙累(補佐)8000 計63000で出撃。武将たちは二流ばかりだがまあ、補佐の支援攻撃で何とかなるでしょう。 6月11日関平、張虎を義兄弟にする。父親同士は友人で息子たちが義兄弟になるってなんかかっこよくないですか? 徐晃にも息子がいれば完璧なんですけどね。 そして同日長安からの落陽攻略作戦開始 張遼(威風)+馬良(能史)+張繍(騎将)17000 呉懿(補佐)+孔丘(仁政)+廖化(血路)16000 厳顔(弓将)+石蹈(規律)+張既(親羌)14000 黄忠(弓神)+蒋エン(明鏡)12000 カク昭(不屈)+閻行(繁殖)+関寧(発明)12000 関平(補佐)+王甫(明鏡)11000 張虎()+徐氏(跪計)9000 計91000で出撃予想以上に大部隊になってしまいました。 さあ、次々行こう 同月21日上庸から宛攻略+許昌攻略部隊出撃 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)17000 秦瓊(金剛)+王朗(築城)+王累(運搬)14000 ウッ遅恭(槍神)+崔州平(指導)14000 計45000数は少ないが最強の武力揃い新野への攻略で兵の少ない許昌なら確実に落とすはず 宛より曹操軍の迎撃部隊が出撃。呂布副将に李勣騎兵、太史慈副将に審配戟兵、徐晃槍兵。‥‥‥何?この布陣‥‥ また、廬江に甘寧騎兵、楽進槍兵が接近岳飛、陳慶之、周泰を迎撃に出撃させる。 10月11日洛陽攻略成功 連弩櫓や迎撃隊との戦いに二万以上の兵を失いながらも何とか勝利。 捕らえた将のうち華キン、公孫康、焦触を処断。他は捕虜に 後1月11日までに楽淋、鐘ヨウ、辛評、秦朗、薛綜、孫ケン、丁義 、駱統、呂拠を獲得。 張コウ、王剪、郭淮らを解放。さらばバルログ張コウまた会おう。 11月21日宛攻略成功 呂布、徐晃、太史慈強し。秦瓊、ウッ遅恭が兵数半分以下になり6000を割っていた。 新野からホウ統、黄権の計略部隊を援軍に出撃させるなどして撹乱させ何とか迎撃部隊を全滅させ、都市を攻略 王忠処断。他は捕虜にして後2月21日までに太史享のみしか獲得できず 212年 曹操軍 都市数15武将数133兵数616941 今は、小沛から廬江攻略部隊を出撃させるなどしているが 鄭成功、岳飛、秦良玉、陳慶之の部隊で迎撃中 馬騰軍 都市数23武将数144兵数707335 宛、洛陽の激闘のかいあって遂に全てにおいて曹操軍を上回る。 さて、この年は何処まで行けるか‥‥。 3月楊儀が文官推挙で費偉を連れてくる。江夏が孫策領なので助かった。 梓潼在野の尹黙先生獲得。あの劉禅の先生かぁ……… 6月廬江防衛戦がかなりウザくなったので蘭相如に久しぶりに停戦に行ってもらう 期間は最短の2ヶ月曹操相手にきっちり傷をおわせて停戦成功。 8月21日停戦終了と同時に曹操軍出撃陳留から投石隊3部隊をあわせて計六部隊が翌ターンには小沛から曹操を含む2部隊が出撃 また、停戦で都市に帰還途中だった3部隊も廬江へ向けて動きだす。 武将も曹操、徐晃、甘寧、楽進等中々見事なメンツ。なのでこちらは新野から許昌攻略部隊を出撃させることにした。 9月1日許昌攻略作戦開始馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+魏延(連戦)17000 馬岱(補佐)+潘ショウ(捕縛)+傅トウ(連戦)16000 趙雲(洞察)+黄権(神算)14000 馬雲リョク(騎将)+黄月英(工神)+楊氏(繁殖)14000 徐庶(深謀)9000 荀攸(百出)+ホウ統(連環)+張良(神算)12000 計82000対する許昌は21236武将も怖いのは陸遜、于禁ぐらい このままなら、楽勝ですかねぇ。 10月宛、漢中で疫病発生。陳留攻略で使うための兵がごっそり減らされる。何?このピンポイント攻撃? 11月許昌迎撃部隊孫礼騎兵の荀攸隊への突撃で張良と孫礼の一騎討ち発生。‥‥‥もう、好きにしてください‥‥ 12月21日遅ればせながら宛から陳留攻略作戦開始 ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)17000 馬休(長駆)+陳震(心攻)+夏侯氏(明鏡)16000 秦瓊(金剛)+費偉(能史)15000 馬鉄(補佐)+韓信(強行)+楊儀()14000 ウッ遅恭(槍神)+簫何(築城)14000 崔州平(指導)+趙累(補佐)+張良(神算)110000 鮑叔牙(補佐)+王累(運搬)+太史享(能史)10000 計97000で出撃。対する陳留は23000ちと張り切りすぎたかな 213年建業の程イクが滅び残りは3勢力 曹操軍 都市数16武将数128兵数614286 程イク勢力を滅ぼし建業を得る。今は、十万以上の大軍で廬江を激しく攻め立てる。 馬騰軍 都市数23武将数152兵数900102 廬江防衛でどれだけ粘れるかが勝負。許昌は後一撃で陥落するので長かった献帝擁立ももう、目の前。 孫策軍 都市数3武将数27兵数247807 曹操軍と同盟中馬騰軍と停戦中なので動けず将も増やせず。 1月廬江防衛戦 ようやく李典戟兵等3部隊を撃破したが曹操槍兵、徐晃戟兵、太史慈戟兵、劉備槍兵等が渡りにわらわらといる。 非常に不味い事態活路が見えない。 2月1日許昌攻略成功。少し火計で遊び時間をかけてしまった。 2月11日 張虎「父上!義兄貴!馬超隊が許昌を制圧したって報告が!」 張遼「いよいよ我らも動くべきかな関平?」 関平「ホウ将軍らの陳留攻略部隊も間もなく都市の包囲が始まるとのことです。」 張遼「廬江防衛戦はどうなっている?」 関平「岳将軍、陳将軍、鄭将軍らが奮戦しておりますが数が数だけに厳しいようです。」 張遼「急がねばならないかな?」 張虎「全く情けねぇなぁ!」 関平「賢弟、仕方あるまい曹操軍の主力のほとんどが廬江へ向かったのだから」 張遼「そのとおりだ虎自重!せよ岳将軍らだからこそ粘れているのだお前ではあっという間に廬江は陥落しているだろう。」 張虎「‥‥‥はい」 張遼「今回の攻略戦では父と戦わずに済みそうだな?」 関平「私も武人の端くれ父上を前にして臆することも剣を鈍らすこともありません。」 張遼「よくぞ言った!流石は雲長の子だ!虎よ、よく関平に見習え。」 張虎「よろしく頼むな義兄貴」 関平「こちらも賢弟。では、呉将軍、黄将軍らとギョウ攻略部隊編成を話し合って参ります。」 改めまして2月11日洛陽からのギョウ攻略作戦開始 張遼(威風)+石蹈(規律)17000 呉懿(補佐)+蒋エン(明鏡)16000 厳顔(弓将)+馬良(能史)15000 カク昭(不屈)+呂範(造船)13000 黄忠(弓神)+駱統(強襲)12000 関平(補佐)+王甫(明鏡)12000 張虎()+呂拠(操舵)10000 計95000対するギョウは87000と兵数だけ見れば大変そうだが武将数が二人しか居ないため楽勝のはず 後は時間との勝負。 3月1日馬騰が皇帝になる。ならないパターンが欲しいです。必ず校庭に成らなければならないって‥‥なんか嫌です。 とりあえず建国名は羌が良かったのですが無いので涼に。 4月21日陳留攻略成功。甘寧、劉邦それに僕陽からの援軍の満寵らに苦しみましたが張良の神算で甘寧部隊は沈黙させ続け何とか迎撃部隊を全滅させ攻略。 捕らえた張儀、婁圭は処断。他は捕虜に 翌ターンに僕陽、小沛から陳留攻略部隊が出撃。なんの準備も出来てないギョウを早く落とさねば 5月1日孫策死去孫権が後継。その際に法政が在野になってくれたので確実に獲得。 6月11日ギョウ攻略成功。迎撃部隊はガン無視で都市を急ぎ集中攻撃。そうしないと廬江が死ぬ 捕らえた将のうち公孫恭が捕虜にした翌ターンに登用に応じてくれました。 6月21日急いで一年の停戦相手は陸遜。1回失敗したものの何とか停戦。十万いた廬江の兵数が三万にまで減らされた。 7月ことのついでに孫権とも2年の停戦。対戦相手は孫権本人‥‥そう言えば未だに1度も周瑜が舌戦に出てこないなぁ? まあ、良いけど。 洛陽でイナゴ発生。昨年宛に疫病今年洛陽イナゴって何?この仕打ち。 名前 コメント すべてのコメントを見る
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リカク 列伝 董卓の武将。 【演義】 董卓に従って洛陽に入り、郭汜と共に汜水関を守る。反董卓軍に敗れた後、孫堅に董卓の娘との縁談を持ちかけるが、断られた。董卓が王允らに討たれると、賈詡の献策を受け、郭汜、樊稠、張済らと共に長安を襲撃。王允を討って献帝を擁立し、車騎将軍、司隷校尉となって政権を握る。195年、郭汜と仲違いし、長安を荒廃させた。献帝が長安を脱出すると、郭汜と結託して献帝を追うが、曹操に敗北。段煨(だんわい)に討たれた。 【正史】 曹操に派遣された裴茂に敗れ、処刑された。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 69 72 24 1 17 183 141 165 順位 242 178 629 669 646 634 193 413 偏差値 55.2 56.8 33.0 24.9 27.6 34.2 56.4 48.6 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B C C A B C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 60 58 50 56 48 48 75 62 58 47 50 46 順位 185 222 283 304 289 318 113 123 136 184 236 289 偏差値 55.9 54.6 52.8 51.5 53.6 51.2 59.5 58.2 58.0 55.6 54.2 52.6 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 1 司隷 実績 中華統一 無頓着 2/5 5/5 2/3 148 184 198(51歳) 不自然死 小心 小心 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 時節 ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 李傕が親愛する武将 なし 李傕が嫌悪する武将 なし シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 37歳 一般 天水 董卓 100 奮威校尉 2000 - - S2 190年 1月 反董卓連合 43歳 一般 安定 董卓 100 平東将軍 14000 - - S3 194年 6月 群雄割拠 47歳 君主 長安 李傕 - - 24000 - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 死亡 - - - - - - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 死亡 - - - - - - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 安定 董卓 100 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 死亡 - - - - - - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 死亡 - - - - - - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 40歳 一般 天水 董卓 100 奮威校尉 2500 - - S13 191年 7月 序を制する者 44歳 一般 安定 董卓 100 平東将軍 14000 - - S14 251年1月 女の戦い - 未発見 安定 - - - 0 - - 最期が哀れな小董卓。 君主にもなったが能力はイマイチ。 一応呂布から長安を奪ったのに… -- (関羽大好き) 2010-12-16 05 57 51 呂布・馬騰・韓遂を破った割にあんまりな能力設定 -- (アンチ演義) 2011-01-16 21 49 51 何と言っても目が行くのは上司の董卓や孫皓をも凌駕する脅威の政治力。好き放題に振る舞って長安を荒廃させ、擁立していた献帝には逃げられたのが原因か。 -- (名無しさん) 2011-02-20 01 06 11 武力・統率・騎兵はそこそこだが、政治と知力さらには魅力が最低クラス。 明鏡でもつけて華雄の副将が現実的だろう。 -- (名無しさん) 2011-04-07 08 41 55 こいつは董卓よりも魅力が低いのかw それはともかく騎兵Aだがそんな奴は董卓軍には掃いて捨てるほどいる。 騎兵以外の適正も振るわないので董卓健在のシナリオで主力になることはないだろう。 -- (名無しさん) 2011-04-24 20 17 31 政治1だが今作の内政システムはどんな屑でも必ず100日で施設を建てられるのでどうとでもなる。 それよりも君主としては低すぎる魅力の方が問題。 -- (名無しさん) 2011-06-05 07 54 31 呂布から長安奪取、朱儁撃破に馬騰・韓遂撃退。こう書くと紛れも無く名将。しかも曹操と袁紹対策に、 袁術、陶謙、公孫瓉、劉表に官爵を与えて同盟を組んでいる。しかしその後の末路が酷い・・・。 ゲームだと使いにくいので、編集して特技や適正を弄っても良いだろうが、果たしてこいつを使い込みたい人は居るのやら? -- (名無しさん) 2011-07-17 02 05 56 ↑ここにいるぞ! 毎作買うたびに李カクでプレイしてる……。 -- (名無しさん) 2011-07-21 04 52 48 ↑李確のどの部分が好きなの? -- (飛将軍呂布) 2011-08-11 21 28 31 ↑巫女属性か、でなければNTR属性専用機なんだろ んもう、書かせんなよ恥ずかしい(*・ω・*) -- (名無しさん) 2011-08-11 23 27 53 ↑そうなのか、恥ずかしい思いさせてスマンな。俺も個人的に李確好きだからさ知りたかっただけなんだよ。 理由、呂布・馬騰・韓遂を破ったから。 -- (飛将軍呂布) 2011-08-11 23 37 09 君主にはあるまじき驚異の政治力1を持つ。魅力1の韓玄と違い、武力・統率はこの類いの武将にしてはそれなりなので、ネタ君主予備軍止まりである。 顔グラが優しいおじさまって感じなのも逆に面白い。 -- (名無しさん) 2011-11-13 09 24 37 兵器がBなので兵器で出陣を 不自然死なので合計二十年ほど時間が残されている 鍛え名兵器使いに…難しいかな? -- (名無しさん) 2012-10-31 14 20 24 Ⅷまでのいかにも猛将って感じの顔が良かったんだけどな Ⅸからここまでのグラは頭の悪さしか感じない -- (名無しさん) 2014-07-04 20 01 37 親愛に郭汜がないのか -- (名無しさん) 2014-08-15 03 55 04 政治1って。 一応皇帝を傀儡にした点で政治力発揮したから、15くらいはあってもよくない? -- (名無しさん) 2016-03-11 14 19 44 結局は逃してるからな。というか能力や顔グラへの文句はここに書くなって。誰も聞いてないから。 -- (名無しさん) 2016-10-26 22 34 38 こんな終わったコンテンツのwikiで自治厨してる奴もたいがいだけどな -- (名無しさん) 2017-02-16 23 24 38 不自然死だが、寿命が短くて1代での統一は無理。配下は悪くないんだが。 -- (名無しさん) 2017-02-18 11 45 15 いわく、呂布・馬騰・韓遂・劉焉も破ったらしく戦は相当できたようだ。が、現状は軍師のカモなので使用する場所は限られている せいぜいガチでやりあえるのは黄巾族の武将だけだろう 英雄系なら官爵は与えずに後方で仁政もちと組ませて治安の数合わせぐらいが関の山かな チラ裏になるが呂布・馬騰・韓遂・劉焉も破ったことが加えられると統率とか徐栄くらいになるかもしれん -- (名無しさん) 2017-02-18 22 42 26 邪心崇拝者で巫女萌えの先駆者。 したがって、特技で鬼門をつけてもいいと思う(暴論) まあ真面目な話、董卓の残り香みたいな奴だからね。 実際は少なくともこれの一回りくらいは強いんだろうが、凡将扱いはある意味仕方ないというか、宿命というか・・・ -- (名無しさん) 2017-05-04 18 56 56 捕縛 処断 -- (名無しさん) 2017-11-17 19 29 47 ばか -- (名無しさん) 2021-09-25 19 32 10 名前 コメント すべてのコメントを見る